別府市の玄関、JR別府駅正面にユニークな銅像が立っています。
初めて見る人は、おやっ?と思うでしょう。
銅像といったら、偉い人が凛として立っているというイメージが私にはあるのですが、この銅像の人物は、ぜんぜん偉そうではありません。
満面の笑みで両手をあげ、そのマントに小さな鬼がぶら下がっています。
さらに、台座には、「子どもたちをあいしたピカピカのおじさん」と書かれているのです。
この人、いったい何者?何をした人なんでしょう?
失敗続きの半生
実はこれ、別府市の観光開発に尽力した実業家・油屋熊八の銅像です。
油屋熊八は、1863年、愛媛県宇和島の米問屋に生まれました。
30歳のときに大阪に出て、米の相場で成功し、巨万の富を手にします。
しかし、34歳で相場に失敗し、全財産をなくします。
そこで、心気一転、アメリカへ渡り、放浪の旅を続けます。
しかし、アメリカでもうまくいかなったようです。
38歳のとき帰国。
46歳のころ、米国滞在中に妻が身を寄せていた別府へ移り住み、亀の井旅館(現在の別府亀の井ホテル)を経営し始めました。
街全体のために
熊八がすごいのは、自分の旅館のためだけではなく、別府の街全体が潤うことを願って行動したことです。
たとえば、客寄せ。
当時の別府港は桟橋がなく、船の発着は危険で船客には不評でした。
そこで、熊八は大阪商船の本社に乗り込み、桟橋建設を約束させ、完成しました。
そのおかげで船は毎日就航するようになり、大勢の客を安全に運んでくるようになったのです。
また、熊八は別府宣伝のために知恵をしぼり、自らキャッチフレーズを考えました。
「山は富士、海は瀬戸海、湯は別府」。
1925年、熊八はこのキャッチフレーズを標柱にして富士山頂を初め、全国各地に建てさせました。
その甲斐があり、翌々年、大阪毎日新聞社が「新日本八景」の人気投票を行ったとき、別府温泉は全国一位に選ばれます。
さらに当時は珍しい定期観光バスを走らせることも考えました。
その結果生まれたのが、大人気となった「地獄めぐり」と「遊覧バス」。
そのバスに女性の案内役を乗せ、日本初の「バスガイド」が生まれます。
おもなしの心
これらの新しいことを始める時は、その都度、地元の業者から反発を受けましたが、熊八はねばり強く説得し続けました。
また、熊八は誰とでも友人のように接し、人の地位で態度を変えることはなかったそうです。
ある時はホテルの客が従業員の失敗に怒った時、従業員をかばい、土下座までして詫びました。
そんな熊八のまわりには、わが町のためならなんでもしようという面白い人たちが集まったそうです。
みんな子どもたちが大好きで、「オトギ倶楽部」を結成し、子どもたちを寓話や歌や演奏などで楽しませました。
その「オトギ倶楽部」で、「ピカピカのおじさん」とよばれていたのが、銅像の台座に刻まれた「子どもたちをあいしたピカピカのおじさん」という文字の由来です。
子どもも大人も大切にした熊八のモットー(口ぐせ)は、聖書の言葉
「旅人をねんごろにせよ。(旅人をもてなすことを忘れてはいけません)」( 「ヘブライ人への手紙」13章2節)
でした。つまり、「おもてなしの心」です。
熊八の旅館は、万が一お客さんが急病になったときすぐ対処できるよう、つねに看護婦を待機させていました。これは、現代でもそうそうないですよね。
常に、隣人のため、地域の人々のため、お客のために働きました。
そのような熊八には、斬新なアイディアが生まれ、志を共有する仲間が集まり、事業も継続拡大していったのです。
没後も慕われる「別府の父」
観光地の売出しや開発には、公費の支出が当たり前な現代とは違い、別府温泉の宣伝はすべて熊八さん個人が私財と借財でまかなっていました。
そのため、熊八の死後、彼の自動車会社や旅館は借金の返済のため売り払われました。
しかし、その行動力と独創力に敬意をこめ、「別府観光の父」「別府の恩人」としていまも市民から慕われています。
ちなみに、駅前の銅像は、制作した彫刻家・辻畑隆子によると、天国から舞い降りた熊八が「やあ!」と呼びかけているイメージとのことだそうです。
この熊八さんのおもてなしの心は、「別府の奥座敷」と言われた由布院にも引き継がれていきます。
実は、由布院の亀の井別荘は、油屋熊八が客人をもてなすために中谷巳次郎(由布院活性化のリーダー中谷健太郎氏の祖父)とともに築いたものです。
「おもてなし」の心で、人を迎えることで、街は活性化しました。
つねに、お客ファーストで、アイディアを出し、街全体を変えていったのです。
これは、会社や個人にも応用できる考え方ではないでしょうか。
【参考文献】
「地獄のある都市 油屋熊八と別府観光・地獄巡り」(社団法人別府市観光協会発行)「Please No.138.139『観光地別府の未来を描いた男 油屋熊八』」(九州旅客鉄道株式会社発行)
熊八のおもてなしの心は、湯布院にも受け継がれています。