いい言葉

明るい気持ちになれる言葉(乙武洋匡、正岡子規、森光子)

紹介する言葉は、偉人や賢人の言葉・名言・格言など、きっと心に響き、そして心の糧になる言葉です。

ちょっとした空き時間や待ち時間に、スマホなどで読めるように短い解説を加えています。

これらの素晴らしい言葉にふれ親しむことで、あなたは明るい気持ちになれるでしょう。

乙武洋匡の言葉

障害は不便です。

でも、不幸ではありません。          

乙武洋匡 1976~

作家・タレント 代表作品『五体不満足』

 乙武さんは、先天性四肢切断(生まれつき両腕両脚がない)という障害をもちながら、明るく元気いっぱいの人です。

 車椅子から彼はにこやかに笑いかけ、「障害を持っていてもボクは毎日が楽しいよ」と言います。

 乙武さんは、小学生の時から、普通の学校に通って、ドッヂボールや山登りなど何でも、みんなといっしょに楽しく取り組んできました。

 勉強も人一倍がんばりました。

 そんな彼が大学生のときに書いた『五体不満足』という本は大ベストセラーとなり、日本全国に感動と勇気を呼びおこしました。

「環境さえ整っていれば、ボクのような障害者は、障害者でなくなる」と言う一方で、障害者と健常者との間にある「目には見えない心の壁」も取り除いていこうと呼びかけます。

 お互いに遠慮や偏見をなくす「心のバリアフリー」を心がけたいですね。

【出典】乙武洋匡著『五体不満足』(講談社)

64 正岡子規の言葉

病気の境涯に処しては、

病気を楽しむという事にならなければ

生きて居ても何の面白味もない。

正岡子規 1867~1902

明治時代の俳人、歌人 雑誌「ホトトギス」を創刊

正岡子規は、22才の時に、肺結核でとつぜんに喀血(血をはくこと)しました。

「子規」は「ホトトギス」とも読みます。ホトトギスは口の中が赤いので、鳴くと血をはいているようにも見えます。

 子規は、ホトトギスと病気になった自分とを重ね、本名の「常規」から一字とった「子規」というペンネームを使い始めました。

 その後、35歳で亡くなるまで、病気でありならがら、子規は活発に文学活動をおこないました。

 特に、世の中の出来事や風景などを分かりやすい俳句にして、新しい文学にまで高めた功績は非常に大きいものがあります。

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

これは、子規の特に有名な句で、故郷の松山から東京にもどる旅の途中に法隆寺の茶店で休んでいるときに作ったものです。

ちなみに子規は、くだものが大好きで、特に柿が大好物だったそうです。

【出典】正岡子規著『病牀六尺』

森光子の言葉

「冬来たりなば春遠からじ」

冬が過ぎればちゃんと春が来ますよ、どんな人にも。

そんな気持ちをいつも持って「明日になればなんとかなるわ」という『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラのような気持ちが好きです。

森光子 1920~2012

女優・国民栄誉賞受賞

森光子さんは、現役女優として初めて国民栄誉賞を受賞した人です。

主演女優として『放浪記』の舞台に上がり続けけていた森さんは、このとき89歳。

実は、女優、森光子さんは、意外にも遅咲きの人です。

『放浪記』で初めて主役の座についたのは、41歳の時。

それまでは、お笑いのコント出演や脇役に甘んじていました。

しかし、1961年10月に初演だった『放浪記』が、この年の芸術祭文部大臣賞を受賞しました。

森さんがすごいのは、その後、一度つかんだ主役の座を連続2000回以上、48年もの間、一度も欠かすことなく、舞台に上がり続けたことです。

途中、肺炎で入院したときも、森さんの強い意志で病室から劇場に通ったそうです。

ちなみに、晩年の森光子さんの舞台に上がる体力と健康を維持する秘訣は、朝75回、夜75回、計150回のスクワットを毎日欠かさずやること、だったそうです。

森さんが大女優といわれるようになった陰には、このようなたゆまぬ努力があったのです。

【出典】実業之日本社編『わたしを支える黄金の言葉 勇気の章』