同じ仕事をしながらも、幸せである人も幸せでない人もいるようです。
自分の好きな仕事かどうか、仕事の結果がどうか、報酬がどうか、ということももちろんその要因にあるでしょう。
しかし、仕事に取り組む心構えが違うことによって、人間の幸福は左右されるものです。
ひとつのたとえ話をご紹介します。
三人の労働者の話
ヨーロッパのある建築現場で同じ作業をしている労働者たちがいました。
ある人が、一人の労働者に尋ねました。
「あなたは何をしているのですか」
すると、その人は不機嫌そうに言いました。
「見てわからんのか。レンガを積んでいるんだ」
この人は、ただ言われたことを機械的にしていたのかもしれません。
次に、別の人に同じことを聞いてみました。
「あなたは何をしているのですか」
すると、その人は疲れた表情で答えました。
「家族を養うために金をかせいでいるんだよ」
仕事はきつく、報酬はそれに見合ったものではなかったのかもしれません。
しかし、同じ仕事をしているのに活き活きと働いている人がいました。
最後にその人に尋ねてみました。
「あなたは何をしているんですか」
すると、その労働者はニコニコしながら誇らしげに答えました。
「みんなのために大聖堂を造っているのですよ」
仕事には楽しいばかりではなく、単調かつ退屈で面白くもないものもあります。
一番目の労働者のように、毎日の仕事が好きになれない人もいるでしょう。
仕事は収入を手段でもありますが、それだけではむなしいものです。
二番目の労働者のように、生活費をかせぐためだけであれば、やりがいも少ないでしょう。
しかし仕事は本来、人の役に立ち、人を幸福にしていくものなのです。
三番目の労働者は、仕事をそういうふうに考え、行っていました。
もちろん彼も、仕事を辛いと感じるときがあるでしょう。家族を養うために収入を得なければならないと考えて働くでしょう。
しかし、彼は同時に多くの人が喜ぶ姿を思い浮かべて働いていたのです。
自分の並べるレンガの一つ一つがいずれ大聖堂となる。
その聖堂にたくさんの人がやってきて、幸福な時間を過ごす。
それは、何十年も何百年も続く。
そのためのレンガをいま自分は運び、一つ一つ積んでいるのだ、と。
そのような仕事は、人を幸せにし、自分自身を幸せにする道となるのです。
たとえ目立たない、ありふれた仕事であっても、愛から生まれ、愛に向かうものであれば、価値あるものになっていきます。
実は、この考えは、ずいぶん前、スペインの聖ホセマリア・エスクリバーという神父様から教えていただいたことです。
彼は、このメッセージを若いときに神様から教えてもらったと言います。
「仕事は幸せになる道です」
このメッセージを世界中の人に伝えるのが、彼の仕事であり、夢でした。
そして、私にも届き、いまも私を支えています。
「仕事は幸せになる道です」
この考えを、いま短い詩にして、お伝えしましょう。
仕事を通して
あなたは、生まれながらに素晴らしい能力をもっています。
その能力は、仕事をし続けることでさらに高められるでしょう。
あなたは、生まれながらに素晴らしい心をもっています。
その心は、仕事をし続けることでさらに磨かれ輝くでしょう。
仕事は「仕える事」と書き、幸せは「仕合せ」とも書きます。
仕え合ってこそ、私たちは幸福になることができます。
あなたは、生まれながらに人を幸福にできる力をもっています。
あなたは、仕事を通して、人と自分を幸福にすることができます。
ときにはだれでも、自分の意にそぐわない仕事をしなければならないことがあります。
でも、そういう仕事もあなたを人間として成長させてくれるのです。
ときには、自分と合わない人と仕事で付き合わなくてはならないことがあります。
でも、そういう人もあなたを成長させてくれるのです。
仕事は、人間修行の場です。
仕事を通して、自分を磨き、高めていけることは、
なんとありがたいことでしょう。
仕事を通して、だれか一人のために役立つのなら、
なんとありがたいことでしょう。
辛いとき、苦しいとき、悔しいとき、とてもそう思えないかもしれません。
でも、そんなときも誰にも見えないところで根を張り、
ぐんぐん成長しているのです。
いつかあなたが美しい花を咲かせ、立派な実を結ぶために……。
あなたは、生まれながらに人を幸福にできる力をもっています。
あなたは、仕事を通して、人と自分を幸福にすることができるのです。
あなたの毎日の仕事に愛をこめると、
その仕事には特別な価値が生まれます。
大きな仕事でなくていいのです。
目立つ仕事でなくていいのです。
小さな仕事でも、平凡な仕事でも、
愛を込めて果たすとき、偉大な価値が生まれます。
その仕事は、人も自分も幸せにできるものとなるのです。