エッセイなど

『あふれでたのはやさしさだった』(寮美千子)

寮美千子著『あふれでたのはやさしさだった』を読みました。

とても感動的で良い本なのでお薦めします。

この本は、2017年にその歴史を閉じた奈良少年刑務所で行われていた「社会性涵養プログラム」の中で、絵本と詩の教室の様子を描いた素晴らしいノンフィクションです。

月三回、半年間の中で、作家、寮美千子さんによってなされた絵本と詩の授業で、少年たちのドラマのような変化(成長)が生まれてくるのです。

詩を書いて発表する

教室の生徒は、殺人や性犯罪、薬物使用など重大事件を起こして実刑判決を受けた未成年の子たちです。

学校にはほとんど通っておらず、文字を書くことにまったく慣れていません。

絵本を使った授業をした後、いよいよ詩を書いてもらう段階になって寮美千子さんは言いました。

「何を書いても構いません。書くこと見つからなかったら、好きな色について書いてきてください」

無口で武骨な感じのAくんは「金色」というタイトルで書いてきました。

金色は

空にちりばめられた星

金色は

夜 つばさをひろげ はばたくツル

金色は

高くひびく 鈴の音

ぼくは金色が いちばん好きだ

金色から「ちりばめられた星」「(夜空に)つばさをひろげはばたくツル」「高くひびく鈴の音」を想像する感性の豊かさに驚かされます。

Bくんは「黒」というタイトルでした。

ぼくは黒が好きです

男っぽくて カッコイイ色だと思います

黒は不思議な色です

人に見つからない色

目に見えない闇の色

少しさみしい色だな思いました

だけど

星空の黒はきれいで さみしくない色です

「黒」という「不思議な色」に自分の心を反映させながら詠んでいるような深みのある詩だと思います。

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一行の詩に思いのこめて

たった一行の詩を書いた子(Cくん)もいました。

 くも 

空が青いから白をえらんだのです

実に詩的な表現だと寮さんは思いました。

後でわかったのですが、この一行の詩には、Cくんの過去の出来事と思いが凝縮されていたのです。

Cくんには薬物中毒の後遺症がありました。

そのため、ろれつもはっきりしません。

頭には父親から金属バットで殴られた傷跡があります。

虐待され、親から否定され続け、自分に自信が持てないから、いつも下を向いています。

詩を読んでもらったときも、声が小さくて早口で何を言っているのか聞き取れません。

「ごめんね、よく聞こえなかった。悪いけれど、もう一度読んでくれいないかな」

何度も繰り返し、ようやく顔を上げて、聞き取れる声で言葉を発してくれました。

「空が…青いから…白を…えらんだのですっ」

息と詰めるように聞いていた仲間たちが、ほっとして一斉に拍手をしました。

すると、Cくんは、「せ、先生…、あ、あの、ぼく、話したいことがあるんです。話してもいいですか」と言い出しました。

そして、どもりながら、つっかえながら、次のようなことを語り始めたのです。

「ぼくのお母さんは、今年で七回忌です。

お母さんは体が弱かった。

けれども、お父さんはいつもお母さんを殴っていました。

ぼくは小さかったのでお母さんを守ってあげることができませんでした。

お母さんは亡くなる前、病院でぼくにこう言ってくれました。

『つらくなったら空を見てね。お母さんはそこにいるから』

ぼくは、お母さんのことを思って、お母さんの気持ちになって、

この詩を書きました」

寮さんは、必死で涙を堪えながら話を聞きました。

溢れでてきたものは優しさと涙・・・

すると、ある子が手を上げてこう言いました。

「ぼくは、Cくんは、この詩を書いただけで、親孝行やったと思います」

別の子が言いました。

「Cくんのお母さんは、きっと雲みたいにまっ白で清らな人だと思いました」

いつも背を丸めて縮こまり暗い顔をしているDくんが手を上げ、必死に声を出そうと、もがきながら言いました。

「ぼ、ぼくはお母さんを知りませんっ。

でも ぼくもこの詩を読んで空を見上げたら、

お母さんに会えるような気がしてきましたっ」

そう言って彼は泣き崩れました。

「そうだったんだね」

「さみしかったんだね」

「がんばってきたんだね」

「ぼくも、おかあさん、いないんだよ」

みんなの声を背に受けて、Dくんは泣き続けました。

寮さんも、刑務所の教官も、もう涙を堪えることができませんでした。

言葉で自分思いを表現することで、自分自身や仲間と向き合った彼らは、自分を守るための鎧を脱ぎ捨てました。

そこから溢れでてきたもののは、一人ひとりの優しさだったのです。

優しさと優しさが響き合い、受けとめ合い、彼らは目に見えて変わっていきました。

人は人によって変わる

私はこの本を読んで、重大事件を起こして実刑判決を受けた「非行少年」たちへの見方が変わりました。

彼らの犯した事件は非難されるべきものですが、彼らが事件を起こす事情や動機にはそれなりの理由があったのではないかということ。

もし、自分が彼らのような境遇に置かれていたら・・・。

親から捨てられ、虐待を受け、学校の先生からも叱責を受けるばかりで、友達が誰もいなかったら・・・・。

貧しくて、ひもじくて、今日食べるものさえ、なかったなら・・・。

誰も助けてくれる人がいなくて、寂しくて、悲しくて、苦しくて、人間が信じられなくて、その鬱積した感情に窒息しそうになっていたなら・・・。

それでも悪を悪として退けていたと言えるでしょうか。

それについては、まったく自信がありません。

それほど、人間は、少なくとも私は強くないと思うのです。

理由や事情があっても、彼らの行いが悪かったのは確かです。

彼らも悪いと分かっていたはずです。

その心根には、悪への誘いがあっても、正しさへの憧れがあったはずです。

人への不信や憎しみがあっても、人を信じたいという思いや愛があったはずです。

罪の償いをしているとき、彼らは言葉を通して、自分の気持ちを表す方法を得ました。

自分の鎧を破って、人を信じたいという思いや愛の気持ちを表したとき、正面から受けとめ、いっしょになって共感してくれる人に出会えました。

それを機に、彼らは自分を守るための鎧を脱ぎ捨てることができるようになっていきます。

正しいと思う道を素直に歩もうと思えるようになります。

人は、人によって変わるのです。

人は、人の言葉を通して、行いを通して、表情を通して、涙を通して、心を通して変わっていくのです。

出典:寮美千子著『あふれでたのはやさしさだった』(西日本出版社)

寮美千子著 『空が青いから白をえらんだのです』 (新潮文庫)