いい話

不要と思われていたもの(ゴミ)を活かす

生活をしていると、自然と不要物がでます。普通は、ゴミとして捨てるわけですが、その後、どうなるでしょうか。

集まった大量のゴミを自治体や業者さんが処理してくださいます。

かなりお世話になっているにもかかわず、自宅の近くにゴミ処理場があれば、地域での評判はよろしくないものです。

ましてや、ゴミが自分たちの健康を害するという風評があれば・・・。

そんな地域住民たちの大バッシングを受けて風前の灯となった父の会社(石坂産業)を一転、超優良企業に変身させた社長・石坂典子さんのお話です。

地域住民の大バッシング

ことの発端は1995年。埼玉県西部の地域の農作物から、高濃度のダイオキシンが検出されたことが大ニュースとなったのです。

石坂産業は、このダイオキシン問題に関わっていないにもかかわらず、地域住民たちから同業者として大バッシングにあいます。

「産廃屋なんかいらない」「住民の敵」「地元から出て行っていけ」などと。

もはや倒産するかもしれないといった絶体絶命のピンチで、典子さんは

「私が会社を変える」

と社長に名乗りを上げたのでした。

高校を卒業した後は、アメリカのバークレー大学に留学をした経験がある石坂典子さん。ネイリストになるため、アルバイト先を探していた時に実の父が「会社を手伝ってくれ」と頼んだことが石坂産業に入社するきっかけでした。

1年で成果が出なければ解任されるお試し社長に就任した典子さん、

当時30歳、乳飲み子を抱えて、2人目を妊娠していたそうです。

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改革、改革、また改革

社長になった典子さんは次々と改革に打って出ます。

改革の大きな柱は、社員教育と、施設改善、環境改善の三つでした。

1つ目の社員教育。

3S「整理・整頓・清掃」とあいさつ、という基本的なことを徹底したのですが、

40歳、50歳の不良少年たちに、若い新人女教師が生活指導するようなものでした。

「小娘に現場のことがわかるか!」

「厳し過ぎる。こんなところでやってられるか!」

と、不満噴出。続出。

その結果、半年間で、4割の社員が辞めていきました。

平均55歳だったのが、35歳にまで若返ったそうです。

2つ目の施設改善

廃棄物を処理するではなく、リサイクルするという発想に転換し、工場を建て直しました。

その結果、現在、石坂産業では、リサイクル率が97%以上になっています。

焼却、埋め立てするのではなく、リサイクルをする会社に生まれ変わったのです。

また、地域住民に安心してもらうために、工程の見える化を進めて、誰でも見学できるようにしました。

現在は、地元住民や子どもたちの社会科見学だけでなく、全国各地の企業などから見学者が列をなして押し寄せています。

3つ目の環境対策

工場近くの里山の自然環境を保全する活動です

フルーツが実るフルーツパークやアスレチックがあるアミューズメントパークなど、地域の住民に愛される環境作りを行っています。

さらに、地域の人との交流のために夏祭りも会社主宰で開催。その費用千三百万円ほどを全額会社が負担しているそうです。

活かして、活かして、活かす

そんな取り組みを12年、続けてきて、地域の人たちに認められてきました。

その結果、2013年、経済産業省「おもてなし経営企業選」に選抜

2014年、財団法人日本そうじ協会主催の「掃除大賞」と「文部科学大臣賞」をダブル受賞。

典子さんは自分自身が子供の頃、産廃業者の娘ということでこころない言葉をかけられ傷ついた経験があるそうです。

そんな思いを自分の子供たちにさせないため、地域住民が喜ぶ活動に力を注いだ結果、会社が大きくなったのです。

石坂典子さんは自身に成功の秘訣をこう言われます。

「私は、自分たちの会社にすでにあるものを、活かして、活かして、活かしきったにすぎません。

父がつくりあげた会社を活かし、社員を活かし、会社周辺にある荒廃した里山を活かすことで、現在があります」

ついでに言えば、産業廃棄物をリサイクルして再利用することも「活かす」でしょう。

このような「活かす」という考え方は、私たちにも応用できると思いました。

長くほったらかしでホコリをかぶっているものを活かす。

活かせるものは、自分の家や職場や地域にあるかもしれません。

いや自分自身の中にあるかもしれません。

ホコリを払い、誇りを生む。(笑)

磨けば輝くものは、近くにあるように思います。

磨けば輝くひとは、近くにいるように思います。

それは自分かもしれません。

人間は、自分の脳のほんのわずか(数パーセント)しか、活用していないそうです。ということは、まだ自分の中に、活かしていない能力があるということ。

ホコリを払えば、これもできる、あれもできると気づくときがあります。

私たちには、きっとまだできる素晴らしいことがあるのです。

【出典】石坂典子著『絶体絶命でも世界一愛される会社に変える!

    ―2代目女性社長の号泣戦記』