私は鳥取県生まれです。なので、よく間違われました。
「中井さん、島根生まれなんですってね」
都会から見れば、山陰地方って印象がうすい。
鳥取県も島根県もたいして違わないように思えるのでしょうか。
それはそうです。隣ですから、ご近所さんです。
私はちょうど県境の境港市の生まれなので、島根県にはしょちゅう遊びに行き、親しみがあります。
その島根県から、田舎から世界に羽ばたく人物が出ました。
そう、テニスプレーヤ、錦織圭選手。
教育界では、七田チャイルドアカデミーの創始者、七田眞さんでしょう。
幼いころからの夢
七田チャイルドアカデミー創始者の七田眞さんは、幼い頃から本が好きで、将来は文筆家になりたいと思っていたそうです。
29歳のとき、後の妻となる島代さんに、自分の夢をこう語りました。
「日本中に、いや世界中に発信するような本を書きたい」
当時、島根県江津市という地方に住む青年にとって、本を出版するのは大きな夢。
日本中、世界中の人に読んでもらうのもさらに大きな夢でした。
人によっては、笑われそうなそれこそ夢のような話でした。
けれども、島代さんは、「夢が大きいことはいいことだわ」と素直に受けとめてくれました。
「貧乏」「大病」「裏切り」の三大苦
七田眞さんが本気でそう願っていたのは、本当です。
ユニークなのは、文筆家になるには、人間的に磨かれねばならないと、「貧乏」「大病」「裏切り」の三大苦を経験したいと願っていたというから驚きです。
願いは叶って、その全部を経験しました。
裏切りによる大借金を背負ったときは、「神樣は自分に払えない金額を負わせることはない」とポジティブに考えました。
もちろん何もかもうまくいったわけではありません。
作った会社の経営が苦しくなり、その打開策として、大阪で新しい幼児教育について講演した時は、40代後半。400の幼稚園の園長宛に、講演の案内状を送ったところ、来てくれたのは、たった一人。
もし、七田さんに大きな志がなければ、きっと挫けていたでしょう。
七田さんは広い講演会場で、その一人に向って、3時間、新しい幼児教育について熱く語りました。
この幼児教育が世間で受け入れられことを願って…。
次々と夢が叶う
それから、約30年。79歳で亡くなるまでに、七田さんは夢を叶えました。
著書は、160冊以上。
その多くが、外国語に訳されて世界中で読まれています。
七田式幼児教育をおこなう七田チャイルドアカデミーは2019年12月までに430校となり、海外での教室は18校。
人口約2万人の島根県江津市から日本中へ、いや世界中へ向けて、七田さんの考えがいまも発信されています。
人間は一つの志を立て、これに集中して続けていくと、すごい力を発揮するようになるのです。
七田チャイルドアカデミー創始者 七田眞
【出典】『七田眞ものがたり-すべての子どもたちに学ぶ喜びを』七田 厚 (編集)