いい話

失敗ばかりの人生だったペスタロッチ(子どもたちを救い続けた「民衆教育の父」)

太陽には太陽のかがやきがあり、月には月の、そして星々には星々の明るさがある。

ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチ(1746~1827年 スイス)

ペスタロッチは「民衆教育の父」よばれ、初等教育の基礎をつくったと言われています。   

しかし、熱意や愛情はあっても、意外と失敗の多い人だったのです。

父のように牧師を目指すが・・・失敗

ペスタロッチは3人兄妹の真ん中の子として、スイスのチューリッヒで生まれました。

牧師であり外科医の父は、彼が5歳の時に亡くなり、母親と使用人によって育てられたため、決して裕福な暮らしではありませんでした。

 彼も牧師を志し、チューリヒの大学に進学しますが、愛国主義的な運動に関わったことから、退学になりました。

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農業経営者と教育者になるが・・・失敗

 彼はルソーが著した『エミール』に影響を受けて農業経営者と教育者を志すことになります。

 ペスタロッチは、20代半ば、農園を作ります。しかし農園は2年半ほどで経営に行き詰まり、つぶれてしいました。

その間、農村の貧しい子どもたちがどんなに教育をうけていないか、思い知りました。

教会で聖書の読みかたを教えてもらってはいましたが、ほかに教育などうけられず、ただ農家の手伝いをするだけの子どもたちがいました。

家があればまだいいほうで、1789年から約10年間、フランス革命の影響がスイスにも及び、スイスでの革命では、たくさんの孤児が出ました。

太陽には太陽の、月には月の、星には星の輝ききがあるように、どんな子だって、すばらしい力をもっています。その力をのばしてあげさえすれば、貧しい生活からぬけだすことができるはずです。

子どもたちが豊かに生きていくための教育こそが必要なのだ。

そう考えたペスタロッチは、自分の財産をなげうって、ふつうの家の子や貧しい家の子が学べる学校をつくったり、孤児たちが無償でくらせる施設をつくったりしました。

残念ながら、ペスタロッチの意見に反対する政治家も多く、またペスタロッチに経営の才能がなかったせいで、学校や施設はつぎつぎとつぶれてしまいました。

本を書き続ける

しかし、本を書くことは続けていき、子どもたちにどういう教育が必要かを書いた本はのちのちまで読まれました。

34歳で書いた最初の本『隠者の夕暮れ』では、冒頭では、「王座の上にあっても、木の葉の屋根の陰に住まわっても本質において同じ人間」と著し、全ての人間は生まれながらに平等」であることを唱えました。

『リーンハルトとゲルトルート』(全4巻)では、貧困が、民衆の問題であり、そのためには貧困から救済するために教育が必要だと唱えています。

フリードリヒ・フレーベル(ドイツ)など、ペスタロッチの本を読んだ人たちが、ペスタロッチの志をひきついで、今日のような教育の形ができあがっていったのです。

行きている間、経営者としては失敗ばかりでしたが、その熱意と愛情によって、死後も多くの子どもを救ったのです。

ペスタロッチの名言

常に神を愛し 神に感謝し 神を信頼し 神に従うところまで 自己を向上する前に、 

まず人間を愛し 人間に感謝し 人間を信頼し 人間に従うところの自己を養わなければならない。

 
家庭よ、汝は道徳の学校である。
 
 
すべてを他人(ひと)のためにし、己には何ものも求めず。(墓碑に刻まれた言葉)