いい話

チャンスに遅れてきた4人目の博士『もう一人の博士』

イエス・キリストが誕生した時、遠国から星に導かれて、東方の博士たちが黄金・乳香・没薬の贈り物をもって訪ねてきたことが聖書に記されています。

贈り物が3つであったことから、伝統的に3人となっているのですが、実は4人目の博士の物語があり、映画にもなっています。(絵本にも)

そのお話です。

瀕死の病人に出会う

 その男アルタバンは、財産を売り払って、救い主への贈り物にする3つの宝石、サファイア、ルビー、真珠を手に入れます。

そして、3人の博士との待ち合わせ場所まで急いで馬を走らせました。

ところが、途中のある村を通る時、重い病気で死にかかっている人を見かけます。アルタバンは一旦通り過ぎましたが、引き返して病人に応急手当をし、十分な食料も与えます。

病人に笑顔が戻ったのを見届けると、すぐにまた馬に乗り、道を急ぎました。

しかし、約束の場所に着いた時には3人の博士たちは、手紙を書き残して、すでに砂漠の旅に出発したあとでした。 

ここで彼があきらめていれば、この話は終わり。しかし、彼は前に進みます。

殺されそうな赤ん坊に出会う

食糧もお金も尽きていた彼は、救い主に捧げるつもりだったサファイアを売ってラクダを買い、1人で砂漠を旅するのです。

こうしてベツレヘムに辿りついた時は、もう3日も遅れていました。

町には外出する者はおらず、不気味なほど静かでした。

やさしい歌声のする小さな家をアルタバンが尋ねると、赤ん坊を寝かしつけている若い母親がいました。

その母親はこの3日間に起こった不思議な出来事をアルタバンに語って聞かせてくれました。

「でも、その方は、もうこの村にはいらっしゃいません。両親といっしょに夜の間にエジプトの方に逃れたのです」

不意に、往来にすごい騒ぎが起こりました。

女たちの悲鳴や泣き叫ぶ声。ヘロデ王が、この近辺の二才以下の子どもを皆殺しにせよと命令し、兵卒たちがやってきていたのです。

母親は恐怖に怯え、赤ん坊を抱いて部屋の暗がりに身を隠しました。

ほどなく血まみれの剣をもった兵卒たちがその家にもやってきました。

そこで、アルタバンはルビーを取り出し、隊長に見せて言いました。

「ここには、誰もいない」

隊長はルビーをひったくると、兵卒たちに他の家を探せと命令しました。

こうして、一人の赤ん坊が救われたのです。

その後、アルタバンは救い主の家族が逃げたというエジプトに向かいました。

 しかし、どこを探しても見つけることはできませんでした。

売られていく娘に出会う

33年の歳月が過ぎました。アルタバンはもう年老いていました。

  過越しの祭の時、彼がいたエルサレムの町では、今まさに処刑されようとする男のことで騒然としていました。

 「ナザレのイエス」「自分を神の子だと称した男」

  それを耳にしたアルタバンは、自分が一生旅を続けてきて探していたのは、この方だと悟ります。

なんと彼は、国に戻らず、ずっと探し続けていたのです。

 彼は、残る一つ宝石である真珠をもって処刑場に急ぎました。

この真珠でイエスが処刑から救われるかもしれないと期待したのです。

しかし、ちょうどそこに、若い娘が引きずられているところに出会います。娘は必死に助けを求めました。

 「お助けください。父は死に、私は父の借金のかたに奴隷に売られるところなのです」

迷いながらもアルタバンは、真珠を取り出しました。

 「さあ、あなたの身代金として、この真珠をあげよう」

ついに探し求めた人に出会う

このとき、空を闇がおおい、大きな揺れが地を襲います。娘を捕えようとしていた者たちは恐れて逃げていきました。

屋根瓦が落ちてきて、アルタバンの頭に重症を負わせました。娘がアルタバンを抱き起こすと、どこからか美しい声が響いてきました。

あなたは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた」(マタイ25-35~36)

 その声に、アルタバンは答えます。

 「いいえ、主よ。わたしは33年間あなたを探し求めてきましたが、一度もあなたにお会いしたことも、あなたのお役に立ったこともないのです」

 すると、またあの美しい声が聞こえてきました、

 「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイ25-40)

アルタバンの顔は笑みに輝き、安らかに息を引き取りました。

救い主を探し求めていたアルタバンは、ずっと前から出会っていました。

はじめは瀕死の病人の姿で、2度目は殺されようとする赤ん坊の姿で、3度目は売られていく娘の姿で。

神様にとって、そのような「小さい者」にしたことは、自分にしてくれたことと同じです。

私たちも、主に出会っているのではないでしょうか。助けや施しや慈悲を必要とする「小さい者」の姿で。

私たちが隣人に捧げる愛の贈り物は、神様がお受けになります。

【出典】 ヴァン・ダイク著『もう一人の博士』(新教出版社)

中井俊已文  おむらまりこ絵 『もうひとりのはかせ』(新教出版社)