いい話

ノイローゼ教師だった夏目漱石のエピソードと名言

あせってはいけません。ただ、牛のように、ずうずうしく進んでいくのがだいじです。

夏目漱石(1867~1916年 作家)

作家、夏目漱石は教師としてうまくいかず作家となった人です。

大作家である偉人にも、多くの失敗があったんだとわかると、元気づけられると思います。

漱石の生い立ち

夏目漱石の顔は千円札にのっていたことがあるので、見おぼえがあるのではないでしょうか。

夏目漱石というのはペンネームで、本名は夏目金之助といいます。

東京の裕福な家にうまれましたが、5人目の子どもだったため、うまれてまもなく養子に出されてしまいました。

そのあと実家にもどれたのですが、またすぐに養子に出されたので、小さいころは、実の両親のことをおじいちゃん・おばあちゃんだと思っていたのです。さびしい子ども時代でした。

勉強はできたほうでしたから(とくに英語はよくできました)、帝国大学(今の東京大学)の英文科に進み、そのあと英語の教師になりました。

でも、このころから少しずつノイローゼという心の病気にかかりはじめたのです。

英語を生徒にどう教えるかを研究するために、イギリスに留学までさせてもらったのですが、イギリスでその病気がますますひどくなり、2年で日本に帰ってきてしまいました。 帰国後はまた学校で教師をしました。

けれど、どうも授業はつまらなかったらしく、生徒からの人気もなかったうえ、教え子が一人、自殺してしまうという事件もあり、また心の病気が悪くなっていったのです。

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ノイローゼの気晴らしに小説を書く

その病気を治すために、気晴らしに書いたのが、『吾輩は猫である』という小説でした。

小説の最初の文章である「吾輩は猫である。名前はまだない」は、とても有名なので、読んだことがある人もいるかもしれませんね。

その小説がおもしろいと評判になり、小説を書きつづけていきたいと思うようになったのです。それが、37歳のときでした。

そのあとは小説に集中するために、教師をやめ、朝日新聞に入社して、とにかく物語を書きつづけました。

それまでの経験を生かして、楽しい小説だけではなく、人間の心の中の悩みや苦しみ、いったい何が正しくて、何が正しくないのかなどをとりあげた小説もたくさん書きました。

その中から名言です。

「のんきと見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」『吾輩は猫である』

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」名著『草枕』の冒頭の一節

「鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです。だから油断できないんです。」名作『こころ』