長崎市で教師だった頃、地元の長崎新聞のコラム「うず潮」に月に1度、3年間ほどエッセーを連載させていただいていました。
この得難い仕事を通して、私は文章を書くことにだんだん魅せられていきます。
当時は思いもよらなかったのですが、このエッセー連載を機に、教師をやめて、文章を書く仕事をすることになります。
その後、幸運にも本を何十冊も出版していただけるようになったのですが、ご紹介する新聞記事は、その原石となったのです。
トップの写真は、ムリーリョ「小鳥のいる聖家族」 1650年頃 マドリード プラド美術館蔵。(私が23年間勤めていた精道三川台小学校の多目的室に飾ってありました)
家庭で祈りを
「お母さん、お母さんはひとりぼっちって思ったことある?」
うつむいたままの母親をのぞきこむように、子供が突然聞いた。
母親がどう答えたらよいか思案していると、その子供は言った。
「お母さん、僕達にはいつも神様がついていてくれるから、ひとりぼっちじゃないよ」
『祈りの小路』(くすのき出版)という小冊子が十二月に出る。冒頭の挿話はその一部である。
長崎に来て初めてキリスト教を知った。以来二十年。その間に学んだことをもとに「なぜ祈るのか、どのように祈るのか」というテ-マで書いた。
筆者は一介の信徒に過ぎない。勢い、中味は人様から教えていただいたものが多い。それでもこの世相暗き中、日常生活に役立つ祈りという愛の手段を語ってみたくなったのである。
拙著には載せなかったが、小学一年生の母親の手記をご紹介する。
「学校で今月のモット-は『親孝行』だから、僕はパパとママのためにお祈りするよ』と言って毎朝、お祈りをしてくれています。遠い学校に通っているので、毎朝、子供を見送りながら『今日も楽しい一日を過ごして無事に帰って来ますように』と親の私達が願わない日はありませんが、子供の方から私達のためにお祈りをしてもらえるとは考えてもいませんでした。とても嬉しいことです」
故マザ-・テレサは言った。
「今や、皆が忙しそうにしています。他の人に与える時間がないみたいです。親は子に、子は親に。そして夫婦同士。‥‥愛は、どこから始まるのでしょうか。私達の家庭からです。いつ始まるのでしょうか。ともに祈る時に始まります。ともに祈っている家族は崩壊することがありません」
今、家庭に必要なものは、ほんのわずかな祈りの時間ではないだろうか。
1998年10月30日「長崎新聞」
幸せをさがす王様
幸せとは何か。
美しい后と可愛い子供たち、財宝の数々に恵まれた王様の日々の悩みは、幸せというものを知らないことだった。大臣に、学者に訊いても分からない。著名な占い師に問うたところ、この国で最も幸せな者のシャツを着れば分かる、と言う。
密かに大臣を遣わし捜索が始まった。金持ち、有名人などを尋ねまわるが、彼らの口からは愚痴と不平不満が出るばかり。幸せな者は見つからず、三カ月が徒労に終った。
疲れ果てた大臣は、山村の小径で楽しげなひとりの羊飼いに出会った。
「あの、あなたはもしかして幸せですか」
羊飼いは快活に答えた。
「お日様は昇る。雨も降る。俺はみんなが好きだ。みんなも俺を好きだ。幸せだよ、もちろん」
この人だ!と確信した大臣は、いくらでも金を出すからシャツをゆずってくれと懇願する。しかし、それは無理な話だった。その羊飼いは上着の下に何も着ていなかったのだ。
これは、昭和のザビエルと言われたカンドウ神父が、幼い頃に母堂から聞いて忘れられなくなった話だと言う。『カンドウ全集』に読み、私も折りにふれて色々なことを考えさせられた。
私達の多くは、この王様のようではないだろうか。
私達は今持っているものの良さを実は知らない。あって当たり前だと感じ、大切にもせず、有難くも思わない。それどころか、ついつい愚痴や不平が出る。他にいいものがあろうと外を捜し回り、他人を羨み妬みもする。そしてストレスを溜める。
幸せは、どこか遠くにあるモノではないと思う。身近なものを大切にし感謝するのでなければ、見付かるはずはないとも思う。きっとそれは、心の中にあるのだから。
1999年1月19日「長崎新聞」