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新聞コラム5「家庭教育のヒント」「見えないウルトラマン」

長崎市で教師だった頃、地元の長崎新聞のコラム「うず潮」に月に1度、3年間ほどエッセーを連載させていただいていました。

この得難い仕事を通して、私は文章を書くことにだんだん魅せられていきます。

当時は思いもよらなかったのですが、このエッセー連載を機に、教師をやめて、文章を書く仕事をすることになります。

その後、幸運にも本を何十冊も出版していただけるようになったのですが、ご紹介する新聞記事は、その原石となったのです。

トップの写真は、23年間勤務していた精道三川台小学校の校舎。

家庭教育のヒント 

 ある午後の教員室。机の上に小冊子がおかれてあった。手に取ってながめてみると、おもしろい。思わず周囲が振り向くほどの大声で笑ってしまった。

  漫画も愉快だが、内容がよいので嬉しくなったのだ。その冊子とは、文部省が発行し、小中学生の子供をもつすべての家庭に届けられた『家庭教育ノ-ト』である。

 冊子の企画・編集にたずさわってこられた河合隼雄氏(国際日本文化研究センタ-所長)の「日本人の常識」というタイトルの某新聞記事を読んだことがある。その中で氏は、子育ての規範という点で、日本人の「常識」が諸外国と大いにずれていることを憂いておられた。  

 たとえば、『家庭教育ノ-ト』に掲載されている統計によると、高校生に対して「 先生に反抗すること」「親に反抗すること」 について質問したところ「本人の自由でよい」と回答した者が、アメリカも中国も二十%以下であるのに対し、日本は八十%前後である。「学校をずる休みすること」 では七十%近く、「売春」については、三十 %近くが「本人の自由でよい」と回答し、いずれも目立って多いのだ。 

  『家庭教育ノ-ト』では、その統計の横に次のように書いてある。

 「いけないことをいけないことと思わない子どもたちが増えています。『自分さえよければいい』『ル-ルを守らない』という人は、人から信頼されず、キラわれます。間違った行いは本気で叱り、その場で正すことが本当の愛情です」

 このような当り前のことが当り前でなくなっているところに、現在の家庭教育の問題の根があると私は思う。

  この冊子では、家庭教育の常識的で当り前のことを、多岐に渡って、わかりやすく、おもしろく、ズバリと紹介している。場合よれば耳に痛い正論だろうが、それゆえに有難い家庭教育書だ。 

  就学前の子供をお持ちの方にも勧められる。お手元になければ、知り合いの方からお借りしてもよいかもしれない。きっと家庭教育の貴重なヒントが得られると思う。

    1999年4月21日「長崎新聞」

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見えないウルトラマン

 「先生、一年生がこけたよぉ」 

   入学して間もない頃の下校時、一年生が坂で転び膝をすりむいた。目からは涙が‥‥。

  そのまま近くのバス停まで連れて行くと、別の二年生が「ぼく、カットバン持ってるよ」と言って張ってくれた。それには、ウルトラマンの絵。

 「ウルトラマンがついているからもう大丈夫だよ」「うん」

  涙をこらえながら、精一杯の返事をするのだった。

 でっかいランドセルにぶかぶかの制服。ヨチヨチ歩きを思わせる危なげな足取り。誰も知る人のいない遠い学校への初めてのバス通学。心細くないわけがない。   

  四月のある日。一年生教室で、別の子が泣いていた。病気か、ケガか、ケンカか、それとも寂しいのか。それとも‥‥。

  見ていてくれた上級生が教えてくれた。

「先生、国語の教科書を忘れたみたいですよ」「そうか‥‥。○○くん、先生のを貸してあげるから大丈夫だよ」

 そんな一年生も一か月を過ごすとかなり慣れてリラックスしてくる。「学校って楽しいね」と誰かれとなく言い出す。

  学校に来て、勉強をして、家に帰る。そんな当たり前のことが当たり前にできるようになるには、多くの人々の助けが必要だった。保護者、教師、上級生、時には見ず知らずの方にどれだけ見守られ助けられてきたことだろう。

 転んだ時に「ウルトラマン」は登場したが、転ばないようにと注いでくれた眼差しも、つないでくれた手もあった。泣いたら教えてくれた上級生もいたが、泣かないようにと子供が寝た後でこっそりランドセルをのぞいていたお母さんもいたはずだ。

  こうした目には見えない温かな思いをいっぱい受けて、子供たちは成長していく。

 そんな子供たちを見ていると、私もまた、同じように育ってきたのだと気づかされる。いやいや、一人前になったつもりの今でさえ、多くの人のお世話になっているのが現状だ。見えない思いをも受け止め感謝できる者になりたい。

        1999年5月23 日「長崎新聞」

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