長崎市で教師だった頃、地元の長崎新聞のコラム「うず潮」に月に1度、3年間ほどエッセーを連載させていただいていました。
この得難い仕事を通して、私は文章を書くことにだんだん魅せられていきます。
当時は思いもよらなかったのですが、このエッセー連載を機に、教師をやめて、文章を書く仕事をすることになります。
その後、幸運にも本を何十冊も出版していただけるようになったのですが、ご紹介する新聞記事は、その原石となったのです。
トップの写真は、ヘラルト・ファン・ホントホルスト「羊飼いの礼賛」(1622年)ケルン、ヴァルラフ=リヒャルツ美術館蔵。
死に向かう生を考える
教育の場で「死への準備教育」(デス・エデュケ-ション)が注目されている。「死」を語ることで、子供たちに生きる意味や命の重みを伝えようという試みである。
日本では、死は「怖いもの」「縁起が悪いもの」として、タブ-視される傾向にある。学校現場でも、死の問題は回避されてきた。しかし、死自体は誰しも避けて通ることができない現実である。死は人生の最終ゴ-ルであり、死を考えずによりよい生の営みを考えることはできないだろう。
故黒澤明監督の名作『生きる』は、そのことを如実に物語る。
役所に勤める老年の男が、不治の病を知らされる。死を意識しだした主人公は事なかれ主義で過ごてきた役人生活が、すべて無意味に思えてきて悩む。生きることを真剣に考えはじめ、心底生き甲斐が持てるものを捜す。歓楽街をめぐるが、心の空白を埋めるものはない。
しかし苦悩の末、玩具工場の若い女工の言葉から彼は悟る。人のために精一杯生きることこそ、本当に生きることだと。
彼は欠勤していた役所に戻り、町に小さな公園をつくるという平凡な企画に取り組む。誠心誠意働き、多くの困難にもひるまず、遂にその仕事を成し遂げる。完成した公園のブランコにゆられながら、彼はその生涯を燃え尽きて閉じる。
映画の後半は、お通夜の席で参列者たちが生前の主人公を回想する場面である。彼らは、主人公のあの半年間の生き方に感動し、よし自分たちも彼のようになろうと誓い合う。しかし、一夜明けると普段のだらりとした生活にもどってしまうのである。
この参列者は、もっと充実して生きたいと願っていても実生活に戻ると力を出せないでいる私たち一般人の姿に違いない。だからなおさら、死を意識して燃えるように生き抜いた主人公の姿が崇高なものに思えてもくる。
死を見つめることで、より大切なものが見えてくる。よりよい生き方を求めるようになる。それは、子供とて同じではないだろうか。
1999年11月4日「長崎新聞」
クリスマスを迎えるために
十二月、街ではクリスマスを迎える準備が進む。家庭で仲間で、今年はどんなクリスマス会にしようかと思案中の方もいるだろう。
ならば、クリスマスを扱った名作にふれるというのはどうだろう。文豪チャ-ルズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』は、映画やアニメにもなり、日本人にも親しみやすく、家族でも楽しめる。
これは、仕事熱心だが欲張りなスク-ルジ-が、クリスマスの夜に次々と送られてきた霊によって、自分の愚かさに気づき、人間愛に目覚める楽しい物語である。
まずは昔の商売仲間のマ-レ-が亡霊として現れる。体に重そうな鎖を巻き付け、喘ぎながら彼は語る。
「この鎖はな、俺がこの地上で求めていたものだよ。今のおまえには見えまいが、もっと長い鎖がおまえには巻き付いているぞ」
そして言う。「わしは人類のために社会の幸福のために働くべきだったんだ。人に尽くし、やさしい心をもち、人のあやまちを許し、進んで人を助けるべきだったんだ。わしのなすべき仕事を広い海にたとえれば、自分の金もうけなんか一滴のしずくにすぎなかったよ」
その後、一晩の間に主人公のもとへ自分の過去・現在・未来を示す三人の霊がやってくる。純粋だった少年時代、人を愛し愛された青年時代、金の虜となってしまった今の自分を次々と客観的に見ることで、泣き笑い叫び、悔やむ。
そして、未来の霊が無言のうちに示した自分の姿に打ちのめされ、ついに改心をとげ、歓喜の朝を迎える。この世で大事な仕事は慈愛だと悟ったのである。
本来、クリスマスは二千年前に生まれたイエス・キリストの誕生を祝う日である。日本では、商業の活性化や飲み食い中心のドンチャン騒ぎに利用されるが、それがキリストの本望かどうか。おめでたい日だから、大いに楽しんでよいが、一方でその本当の意味を考えるのは意義があるだろう。
子供のようにクリスマスを指折り数えながら、自分の生き方を振り返る日々にもなればと思う。
1999年12月4日「長崎新聞」