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新聞コラム11「皇后の読書」「心を育てる言葉」

長崎市で教師だった頃、地元の長崎新聞のコラム「うず潮」に月に1度、3年間ほどエッセーを連載させていただいていました。

この得難い仕事を通して、私は文章を書くことにだんだん魅せられていきます。

当時は思いもよらなかったのですが、このエッセー連載を機に、教師をやめて、文章を書く仕事をすることになります。

その後、幸運にも本を何十冊も出版していただけるようになったのですが、ご紹介する新聞記事は、その原石となったのです。

皇后の読書

 先日、『橋をかける-子供時代の読書の思い出-』という本を読み、やはり感動した。

 この本は、一昨年、国際児童図書評議会世界大会において、美智子皇后がされた講演を収録したものである。美智子皇后の初めての講演とあって、テレビでも放映され大好評だったらしい。

 皇后は子供時代に読まれた様々な本やその読書体験を回想されながら感謝をこめて語られた。   

「振り返って、私にとり、子供時代の読書とは何だったのでしょう。何よりも、それは私に楽しみを与えてくれました。そして、その後に来る、青年期の読書のための基礎を作ってくれました。それはある時には私に根っこを与え、ある時には翼をくれました。この根っこと翼は、私が外に、内に、橋をかけ、自分の世界を少しずつ広げて育っていくときに、大きな助けとなってくれました」    

 皇后が少女時代に繰り返し読まれた本の中に新美南吉の童話「でんでんむしのかなしみ」がある。 

 一匹のでんでんむしはある日、自分の背中に悲しみがいっぱい詰っているのに気づく。でんでんむしはその悲しみに押し潰されそうになり、友達のところへ助けを求めに行く。「わたしはもういきていけません」

 すると、友達のでんでんむしは言う。「あなたばかりではありません。わたしのせなかにもかなしみはいっぱいです」

 次に尋ねた友達もその次の友達も、そのまた次の友達も同じことを言う。とうとうでんでんむしは気づくのである。

 悲しみは誰もが持っている。自分も悲しみをこらえて生きていかなければならないのだと。            

 皇后は願いをこめて語られた。

 「悲しみが多いこの世を子供が生き続けるためには、悲しみに耐える力が養われると共に、喜びを敏感に感じとる心、又、喜びに向かって伸びようとする心が養われることが大切だと思います」     

 今年は「子供読書年」だそうだ。子供も大人も読書の良さをより深く味わい知る年になるようにと私も願う。
 子供たちが悲しみに耐えうるしっかりした「根っこ」を持つために。生きる喜びに向かう強い「翼」を持つために。  

   2000年5月3日「長崎新聞」

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心を育てる言葉    

 子供の心を育てる言葉があれば、腐らせていく言葉もある。同じような状況にありながら、子供への言葉かけによって、まったく違う結果を生むことがあるのではないだろうか。

 例をあげる。夏の暑さの中、水道工事をしている人たちの脇を二組の親子が通りかかった。
 はじめの親は子供に言った。

 「こんな暑い時に外で働かなきゃならないって大変よ。あなたも勉強をがんばらないとそうなるわよ」 

 恐らく、こういう言葉を聞いて育つ子供は、汗水流して働くことをさげすむようになる。そして、きつい仕事や勉強を嫌い、ひたすら自己の安楽を優先させていく若者になるだろう。

 一方その後通りかかった別の親は子供に言った。

 「こんなに暑い時でも働いてくださるおかげで、私たちはお家でいつもおいしいお水が飲めるのよ」

  後の子供は、水を飲む時にきっと母親の言葉を思い出すだろう。そして働くことの意義を知り、まわりの人々に感謝できる若者に育つに違いない。

 もう一つ例をあげる。子供に学校へ持っていく物に記名をさせる時の言葉かけである。      ある親は子供に言う。

 「名前を書いておかないと、学校で自分の物が分からなくなるでしょう。物がなくなって困るのは、あなたなのよ」

  別の親は言う。

 「名前を書いておくと、すぐ誰のか分かるから友達も先生も助かるのよ。名前を書くのは面倒だけど、まわりの人への思いやりだとお母さんは思うの」 

 この二人の子供の名前の書き方は当然、違ってくる。はじめの子は、自分に分かればいいと乱雑に書くか、あるいは書かないですませる。

 後の子は、友達や先生が見て分かりやすいようにと丁寧に心をこめて書くようになる。    

 言葉より大事なものが他にあるにしても、大人が何気なくかける言葉を子供たちは正面から受け止め吸収していくものだ。
 どのような言葉かけが子供の心を豊かに育てるのか、知っておくのは意義があるだろう。
 そういう言葉の花束を持てればと思う。

   2000年6月4日「長崎新聞」