長崎市で教師だった頃、地元の長崎新聞のコラム「うず潮」に月に1度、3年間ほどエッセーを連載させていただいていました。
この得難い仕事を通して、私は文章を書くことにだんだん魅せられていきます。
当時は思いもよらなかったのですが、このエッセー連載を機に、教師をやめて、文章を書く仕事をすることになります。
その後、幸運にも本を何十冊も出版していただけるようになったのですが、ご紹介する新聞記事は、その原石となったのです。
心を育てる
読者の方から、あなたが書く記事のような話を自分が主催する会でしてほしいと頼まれた。
その会は、「誰もがもって生まれた素晴らしい心を磨き出し耕すために、月一回、‥‥宗教の枠にもとわれずに多分野の講師の方のお話を聞く会」である。今度で七十五回目になるそうだ。
光栄には思ったが、自分はそのような会に招かれるほど偉い者ではない。それに話も下手だ。即座にお断わりした。
しかし、会長さんの笑顔と熱意に説得された。テ-マは「心を育てる」。ただし「子供の心」ではなく、「自分の心」を育てる、という話にしようと思った。その方が、会の方々には関心がおありだろうと考えたからである。
会は、平日の午後七時から始まる二時間もの集まりである。しかも、参加費を払わねばならない。当日は師走の冷風を感じさせる肌寒さで、夕方から雨になった。足下は暗い。
こういう状況で、自分の「心を磨き出し耕すために」会場まで足を運ぶ人は、一体どんな方々だろうと楽しみだった。
参加された方々は、やはり、良い聞き手だった。私の話はうまくなかったが、一時間半もの間、話者をしっかり視て聞かれていた。要所要所でメモを取られた。悲しい話には泣き、楽しい話には笑われた。その姿を見て、私の方こそ感動し心洗われる思いがした。
今、教育界では、子供の心を育てることに力を入れて取り組んでいる。けれど、本当は、教師や親、自分自身の心を磨き育てることこそ、大切ではないかと常々思う。
自分が人に優しくしないで、どうして子供たちに思いやりを持てと言えよう。自分の弱さと戦わないで、どうして子供たちに強くなれと言えよう。自分が一所懸命しないことを、どうして子供たちにガンバレと言えよう。
帰りの車の中で、一人になると、自然と我身を顧みずにはいられなかった。私は子供たちに望むほどに自分の心と向き合ってきたのだろうか。
降りしきる雨の音が、なぜか心地良かった。話をしに行って、心を磨かれ育てられたのは、私の方であった。
2000年12月27日「長崎新聞」
喜びを与える
「心の教育」の一環として、我が校では毎月一つのモット-に取り組んでいる。 十二月は「喜び」だった。「まわりの人に喜びを与える人になろう」というのが、このモット-を通して目指すところである。
「人に喜びを与える」なんて、大人でも難しい、と自分を振りかえって思う。それでも、指導せねばならぬのが教師の宿命だ。
小学二年生の我がクラスでは「あいさつ、人助けをしよう」に力を入れた。学校での事はさて置き、家庭での取り組みをご紹介する。
家庭では、各自が「家でがんばること」を決め、特製の「モット-カレンダ-」に書いた。「あいさつ」や「おてつだい」が多かった。カレンダ-には、その日の欄に色をぬることになっている。
・よくできたとき‥‥‥‥‥青 ・あまりできなかったとき‥黄 ・できなかったとき‥‥‥‥赤と、まるで信号機のように。
月の終わりには、「おうちの人からの一言」を書いてもらって、翌日に担任の私に提出する。その一言のいくつかを私は、教室でも紹介する。それを聞くときの子供たちにも喜びが広がるからだ。
「○○ちゃんの『おはようございます!』の一言は、お母さんの気持ちをとても明るくしてくれましたよ」
「お父さん、お母さんに上手に肩もみをしてくれて、とても気持ちが良かったです。ありがとう」
「家族みんなのくつをならべてくれて、ありがとう」
「弟や妹がちらかしたお部屋もきれいに出来ました。お仕事から帰ったパパは、とってもうれしそうでしたよ」
「『おはよう』『ありがとう』を笑顔でにっこり言ってくれましたね。どんなに元気づけられたことでしょう。ありがとう」
読みながら、マザ-テレサが語った言葉を思い出した。「身近な小さなことに誠実になり、親切になりなさい。その中にこそ、私たちの力が発揮されるのだから」
子供たちや保護者に教えられたような気がした。喜びは、身近な小さなことを通して与えられる。わずか一言で、一つの行いで、心のこもった微笑みで‥‥。
2001年1月30日「長崎新聞」