いい話

赤十字の創始者、アンリ・デュナンは落ちこぼれだった

人類はみな兄弟だ。

 アンリ・デュナン(1828~1910 スイス)

赤十字をご存じかと思います。
「人の命を尊重し、苦しみの中にいる者は、敵味方の区別なく救う」ことを目的とし、
世界192の国と地域に広がるネットワークを生かして活動する組織です。

日本にも、日本赤十字社があります。

西南戦争における負傷者救護で初めての活動を行って以来、国内外における災害救護をはじめとし、苦しむ人を救うために幅広い分野で活動しています。

その赤十字を創った、アンリー・デュナン(第一回ノーベル平和賞受賞者)の話です。

学校では落ちこぼれだった

アンリ・デュナンはスイスに生まれ、慈悲深い両親に育てられました。

子どもの頃のデュナンは、落ちこぼれでした。学校の勉強についていけなかったのです。13歳で退学。

その後は、家庭教師の勉強を教えてもらい、エリート中のエリートが働いていた銀行に就職できました。

ある時、銀行の仕事でアフリカのアルジェリアに行ったことが彼の人生を変えました。

当時、アルジェリアはフランスの植民地でした。そこでは、現地の人々はひどい差別をうけて生きるのがやっという生活をしていたのです。

デュナンは、アルジェリアの人々を助けるために、銀行をやめて、食品工場を作りました。

アルジェリアの人々が働き、十分な収入を得て生活することができるようにしたかったのです。しかし、経営はうまくいきませんでした。

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戦場を見て、命の尊さを痛感する

デュナンは、フランス皇帝に援助を頼もうと、オーストラリアと戦争中だった皇帝のところに行きました。

その時に見た戦場の様相が、また彼の人生を変えました。

戦場では、兵士が傷つき、たのれ、死んでいきました。その数は4万人と言われ、まるで地獄を見ているようでした。

デュナンは、「傷ついた兵士はもはや兵士ではない、人間である。人間同士としてその尊い生命は救われなければならない」という信念で傷ついた兵士を敵味方の区別なく助けました。

そして、その時の経験を本に書いて世界中の人たちに知らせました。

この本がきっかけとなって、すべての傷ついた人を助ける国際的な組織「赤十字」をつくることができたのです。

同時に、「戦場では、負傷者や病人は敵味方の区別なく助け、また助けている人を攻撃しない」 という条約(ジュネーブ条約)もできました。

そうした活躍が認められ、第1回ノーベル平和賞を受賞しました。