いい考え方

楽観主義と悲観主義、祈ると楽観的になる

 面白き事もなき世を面白く住みなすものは心なりけり                            (高杉晋作 辞世の歌)

同じ状況で同じ時間を過ごしても、「つまんないなあ」と言う人もいれば、「ああ楽しいなあ。面白いなあ」と言う人もいます。

面白く感じたり楽しく感じたりするのは、その人の心のあり方に原因があるのだと、この歌は教えてくれます。 

さて、楽観主義と悲観主義の違いとは、何でしょうか?

その違いをあらわす小話があります。

対照的な二人の靴商人

ある島へ二人の商人が靴を売りに行きました。

二人の商人は島に上陸してびっくりぎょうてん。島の住人はみんな土人で裸足、誰一人靴をはいていなかったのです。

一人の商人は「これじゃあ靴は売れない、ダメだ」と言ってがっかりして、スタコラサッサと帰って行きました。

ところが、もう一方の商人は、逆に嬉しくてホクホク、ワクワクしました。

「こりゃあ、住人全員に売って、大もうけができるぞ」と思ったからです。

すなわち、前の人は悲観主義者、後の人は楽観主義者です。

このように同じ目的をもっていて、同じ状況に出会っても、そのとらえ方でその後の行動は変わってきます。

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連休が半分過ぎて、どう考えるか?

もう一つの話。

ゴ-ルデンウィ-クの連休が半分、過ぎました。

ある人は「ああ、休みがもう半分も過ぎてしまった。あと半分しか残っていないのか……」と嘆き、暗く重たい気持ちになりました。

ところが、もう一人の人は「休みはまだ半分も残っているぞ。いろいろな事ができるぞ」と喜び、明るくはずんだ気持ちになりました。

すなわち、前の人は悲観主義者、後の人は楽観主義者です。

同じものを見ても同じ状況に置かれても、人によって受けとめ方が違います。

いつも事態を肯定的・積極的に考えていくことを楽観主義というのです。

物事を楽観的にとらえ、肯定的・積極的に生きていくにはどうすればいいのでしょうか。

祈ることで楽観的になれる

それは、やはり祈るということが役に立つと考えています。

それはなぜかと言いますと、祈りことで、自分は神様に守られている、神様の子どもだと次第に実感してくるからです。

そうなると、多少辛いこと、厳しいことが起こってもだいじょうぶです。

むしろ、人生の出会う困難は、神様のありがたい計らいだと思えるようにもなります。

昔から「可愛い子には旅をさせろ」と言いますね。

旅は楽しいものですが、思わぬ困難や障害にも出会います。ことに徒歩で長い道のりを歩かねばならない昔の旅には、危険や苦しさもつきまといました。人情の機微にもふれますが、世間の冷たい風にもさらされます。

このような旅をすると、人は見聞を広めるだけでなく、人間的に成長します。家の中でぬくぬく甘やかされて育つよりも、子どもの将来のためになるのです。 

神様は私たちの天国への「旅」見守っていてくださいます。この地上の旅は、いつもいつも快適というわけではありません。困難や苦しみにも出会います。

けれども、神様への信頼を失わないならば、この旅は必ずうまくいくし、旅の終わりには、素晴らしいものが待っていると確信できるのです。

どんな状況になろうとも、父親である神様が私たちを見捨てることはない。そして、与えられた困難や障害は必ずや乗り越えられる。

神様は私たちが困難な状況に立ち向かうことで成長していくことを期待しておられるのだ、ということがわかるからです。