いい言葉

リルケの詩「秋」から死と人生を考える

私は、ライナー・マリア・リルケの「秋」という詩が好きです。

ライナー・マリア・リルケ(Rainer Maria Rilke、1875年12月4日 – 1926年12月29日)は、オーストリアの詩人、作家です。

わたしは、それほど多くを読んだことはないのですが、彼の詩「秋」を読むと、人間の死や人生、そして人間を超える存在について考えさせられます。

どうぞ、皆さんもじっくり味わってみてください。

リルケの詩「秋」

    秋

 

  木の葉が落ちる 落ちる 遠くからのように    

  空はるかにある庭が枯れたように

  いやいやの身ぶりをしながらも 落ちる

 

  そして この重い地球も 夜々に

  ほかの星からはなれて さびしいところへ落ちる 

 

  ぼくらはみんな 落ちる

  このぼくの手も 落ちる

  まわりをごらん

  なにもかもが  落ちる

 

  でもただ ひとり

  この落ちるみんなを

  両方の手でこよなくやさしくうけとめるひとがいる

 

  (リルケ詩集『わたしはとても悲しかった』飯吉光夫訳・サンリオ出版)

 

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人生を考える

この詩では、何度も「落ちる」という言葉が使われています。

木の葉が落ちる。地球が落ちる。人間が落ちる。自分のこの手も落ちる。見渡すかぎり、すべてのものが皆、落ちていく。

「落ちる」という言葉は、言うまでもなく「死ぬ」という意味をもちます。 

ですから、この詩の三連までを読むと、非常に暗い気持ちにならざるを得ません。そして、それは「死」に対する人間の一般的な思いでもあるでしょう。 

しかし、この詩の最後の一連はこれまでの暗い流れを転換させ、まったく違うものにします。特に「両方の手でこよなくやさしくうけとめるひとがいる」という最後の一行は、読む人に安心と希望をもたらします。

「落ちる」ということは、消えてなくなることではない、そして人生の終わりには私たちを限りないやさしさで受けとめてくださる方がいるのだと……。

死は、自分の人生すべてを神様にゆだねることです。もともと神様によって生まれた私たちは、この世での旅路を終え、また神様のもとへ帰っていきます。 

死は人生のゴ-ルであり、人生の完成です。

死は確かにこの世での生活の終わりを意味しますが、同時に新しい世界での始まりをも意味します。

そこでは、限りない愛である神様とともに、この世で味わった喜び以上の喜びを永遠に享受できるに違いありません。