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言葉の力を使って自分も人も幸せになる

言葉は私たちに与えられた賜物です。

神様からのプレゼントです。

言葉を使って、私たちは自分もまわりの人をも動かすことができます。

言葉によって、私たちは幸福にも不幸にもなりえます。

さらには、神様とコミュニケーションを取ることもできます。

ご紹介する記事は、一般的な言葉の力を述べ、神様との関係にも触れたものです。

言葉には力がある

自分も人も幸せになるために、今日からできる有効な手段は、言葉でしょう。

言葉を使って祈ること。これは私たちに与えられた最高・最強の手段です。

祈りは神さまとの対話です。私たちの幸せを願う神さまのみ心は、祈りを通して受けとめることができるのです。

そこで、まず言葉一般の効用について考えていきましょう。

ご存じのように、私たちが使う言葉には力があります。

たった一言でその人の潜在意識や気持ちや考えを変える力をもちます。さらに、その一言を繰り返すうちにしだいにその人の習慣を変えます。その積み重ねで、その人の人格や人生を変えてしまうこともあるのです。

私は二十三年間、小学校・中学校で教えていたので、特に教師から子ども、親から子どへの言葉の影響力を日々実感してきました。特に子どもは言葉の影響力を受けやすいです。

子どもだけではありません。私たちは、どれだけ年齢が上がっても言葉の影響を受けます。

たとえば、職場や家庭で、「あなた、ダメね」「ダメな人ね」などと自分を否定される言葉を毎日言われ続けるとどうでしょう。恐らく、だんだん落ち込んでいき、憂鬱になっていくでしょう。自信と自尊心をなくし、本当にその人はダメになっていくものです。

逆に、「あなた、すごい!」「素敵です」「かっこいい」「可愛い」「素晴らしい」などと肯定され続けるとどうでしょう。

自信が芽生え、元気になってきます。そして、表情が明るく、いい顔になって、行動もイキイキしてきます。

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自分の言葉で影響を受ける人

ところで、自分の言葉に一番影響を受けるのは誰でしょうか。

はい、そうですね。

自分です。

なぜなら、自分の言葉を一番良く聞いているのは自分だからです。家族や上司や友人の言葉は、一日に数時間聞くことがあっても、ほとんど聞かない日もあるでしょう。ところが、自分が発した言葉は、一日中いつも、どこにいても聞いています。毎日、毎日、一生の間ずっーと。

繰り返しますが、言葉は人に影響を与え、人を動かします。

その人の気持ちを変え、行動を変え、習慣を変え、人格や人生を変えます。自分の言葉を毎日、毎日、聞いている私たちは、知らず知らず自分の言葉に影響を受けているのです。

私たちは誰でも口ぐせ(何度も口にする言葉)があります。 

口ぐせにしていると確実に暗い人生を送るという言葉をお教えしましょう。

たとえば、5Dと言われる言葉。「でも」「どうせ」「だって」「できない」「ダメ」など、後ろ向き・否定的な言葉です。

「でも、どうせ、わたしなんか、無理。だって、できないから、ダメに決まってる」という感じで頻繁に使っていると、元気もやる気もなくなり、自分の殻に閉じもり、人付き合いや仕事ががうまくいかなくなります。ですから、できるだけ控えたほうがいいですね。

人生を幸せに生きるために、お勧めしたいのは、自分の心を上向きにする、前向き・肯定的・感謝の言葉を使うことです

たとえば、「すばらしい」「ありがとう」「うれしい」「たのしい」「おいしい」「いいですね」「やりましょう」など。

こういう言葉をよく使っていると元気ややる気がでて、自然と表情も明るくイキイキとしてきます。

口ぐせになれば、考えや行動が前向きで肯定的になり、人間関係も仕事もうまくいくようになり、毎日が楽しく幸せなものになってくるのです。

フランシスコ教皇の魔法の言葉

教皇フランシスコは、人間関係(特に夫婦関係)を良くする言葉として、「いいですか」「ありがとう」「ごめんなさい」を勧められています。

「家族の中で勝手に振舞わずに『いいですか』といい、利己的にならずに『ありがとう』といい、間違ったことをしたことを認めて『ごめんなさい』というとき、そのような家族のうちには平和と喜びがあります」(使徒的勧告『愛のよろこび』133)

二〇一四年四月二日の一般謁見の演説でも、これらの三つを「家庭の中にあるべき言葉」「魔法の言葉」と教えておられます。

これらは相手を尊重する言葉ですから、言われた人の心には平和や喜びや自己肯定感が生まれるでしょう。

さらに、言った本人の気持ちも自然と平安に満たされていくのです。

さて、「いいですか」「ありがとう」「ごめんなさい」、これらを神さまに対して言うとどうでしょうか。 

これは、祈り、神さまとの対話になりえます。

神さまに対して、自分勝手に振舞わずに「いいですか」と許可を求めると、それは祈りの始まりです。きっと、神さまは「いいですよ」と言い、助けも与えてくださるでしょう。

毎日の当たり前のような出来事にも「ありがとう」と神さまに感謝するのも祈りです。きっと神さまは、日常生活の平凡なことにも喜びを見出せる恵みを与えてくださるでしょう。

自分の過ちを謙虚に認めて神さまに「ごめんなさい」と謝まるのも素晴らしい祈りです。神さまは慈悲深い心でゆるしてくださるでしょう。

私たちが発する言葉は、神さまからいただいた素晴らしい賜物です。まわりの人や自分を幸せにし、神さまをお喜ばせできるように使っていきたいものです。

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『カトリック生活』2019年11号 連載エッセー「いのり・ひかり・みのり」第96回 拙稿「言葉の力を使って」より