神がなさったことを、畏敬の念をもってすべての人々に語り、神に感謝することをためらってはなりません。(トビア記12―7)
感謝の習慣は、人生をより良いものにします。
家族、友人、恋人、職場の同僚、上司、部下・・・。
まわりの人に感謝すると、相手も自分も幸せになれますね。
その後も、きっと良いことがあります。
さて、この後紹介するのは、おもに神さまへの感謝についての記事です。
どんなことにも感謝しなさい。 (テサロニケⅠ 5-18)
と聖書にはあるのですが、普通は、嫌なことがあれば、感謝できないですよね。
そんなふうに思う人は、この先を読んでみてください。(あまり感情は変わらないかもしれませんが・・・)
感謝すると、試練が人を強くする
何かを始めると、必ず、困難や障害が起こります。
それは私たちに与えられた試練です。
しかし、聖パウロの手紙にあるように神さまは、
「耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(コリントの信徒への手紙一10-13)
ただ、その受けとめ方によって、その人の未来は大きく変わるでしょう。
将来ダメになる人は、「なぜ自分だけこんな目に遭うのか」などと文句を言います。
自分にも原因や責任があることを考えようとはせず、人のせい、世の中のせい、運のせいにして、自ら改善の努力をしません。
厳しいようですが、そんな人は、誰からも相手にされず、落ちぶれていくでしょう。
逆に、将来良くなる人は、同じような試練に遭ってもポジティブにとらえます。
試練を前向きに乗り切るように、全力で取り組みます。
「神さま、この試練を与えてくださり、ありがとうございます」と感謝できます。」
さて、もしあなたが神さまなら、どちらの人を応援したくなるでしょうか。
神さまでなくても、どちらの人といっしょに仕事をしたいと思うでしょうか。
私なら、「この試練を与えてくださり、ありがとうございます」と前向きに努力していく人を応援したいし、いっしょに仕事をしたいです。
試練に遭っても感謝できるような前向きな人は、必ずや試練や困難を乗り切り、成長していきます。
他の人からも信頼され応援されます。
私たちが人生で出会う試練は、実は試験のようなものです。
与えられた試練に文句ばかりを言って不貞腐れてしまえば、不合格。
また、再試験を受けなればなりません。
前向きに受けとめて改善と感謝の機会とすれば、合格。
試練の後、さらにグレードアップしているでしょう。
苦しみに感謝できるときがくる
試練がもたらす苦しみのなかにあって、人は本当に感謝できるでしょうか。
普通はできないし、できなくて当然だと思います。
しかし、その苦しみの意味を悟り、苦しみから得られるものに目を向けると、いつか感謝することができるかもしれません。
たとえば、出産の場面で、女性が子どもを産むときの苦しみです。
母親はそれこそ命がけで赤ちゃんを産むのですから、その痛みや苦しみは日常的なものをはるかに超えるものでしょう。
しかし、その痛みや苦しみを通して待望のわが子が誕生するのですから、無意味な痛みや苦しみではないと母親はわかっています。
母親は自分を苦しめたわが子を恨むでしょうか。
いいえ、決してそんなことはありません。むしろ、生まれてきたわが子が愛おしくて仕方なく、幸福感と感謝の気持ちに包まれるのではないでしょうか。
このように新しい命や価値が生まれるときには、苦しみが伴うことがあります。
他の例ですが、病気や障害を受けた人のなかには、その病気や障害ゆえに、特別な能力や人生のチャンスが与えられることがあります。
ヘレン・ケラーは、こう言っています。
「私は、自分の障害を神に感謝しています。なぜなら、それらを通して私自身を、私の仕事を、そして私の神を見出したのですから」
もちろん、ヘレン・ケラーは最初から自分に与えられた試練に感謝していたわけではありません。その意味もわからず、ただただ苦しいときがありました。
しかし、人生に前向きにチャレンジしていくことで、自分の障害にも感謝できる人に成長したのです。
私たちへの試練も、決して無意味に与えられたものではないと思います。
キリスト信者としては、イエス・キリストのご受難と一致できる機会であると考えることができます。苦しさの只中では難しくても、自分へのプレゼントだと気づき、感謝できるときがくるかもしれません。
苦しみは喜びに変わる
『旧約聖書』の「トビト記」では、二人の善良な人の苦しみが語られています。
ふとしたことから目が見えなくなってしまったトビトと、彼の遠い親戚で結婚する度に花婿が悪魔に殺された娘サラです。
しかし、神さまはこの二人の祈りを聞きと届け、その災難を大きな喜びに変えました。
天使ラファエルを送り、トビトの子トビアを無事にサラと結婚させ、トビトには、目が開ける薬を与えたのです。
冒頭の聖句は、天使ラファエルがトビトとトビアに語った言葉です。
トビトは、百十二歳で安らかに亡くなるまで、
「神をほめたたえ、神の偉大さのゆえに、感謝をささげることをやめなかった。」(トビト記14-2)
とあります。
私たちも試練に出遭っても、神さまに助けを求めれば解決し、苦しみは喜びに変えられます。神に感謝する人格は、永遠の幸福にふさわしいものに高められるのです。
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『カトリック生活』2015年11月号 連載エッセー「いのり・ひかり・みのり」第48回 拙稿「感謝がいい人生をつくる」より