あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。(マテオ25-13)
自分の人生に終わりがあるのは知っていますが、それがいつなのか、私は知りません。
知っていれば、生き方が変わるのでしょうか。
例えば、あと半年。
例えば、あと3日。
知っていれば、今日という時間の重みが変わってくるのでしょうか。
死への意識で生き方が変わる
死を意識すると、人の生き方は変わります。
黒澤明監督の映画に「生きる」という名作があります。役所に勤める老年の男性が不治の病を知らされ、残り半年の命をどのように生きたかを描いた作品です。
自分の余命が短いことを知った主人公は、それまでの味けない判で押したような生き方に疑問を持ちはじめ、悩みます。そして、自分が心底生き甲斐を持ってできることを探しさまようのです。
見知らぬ小説家と知り合って夜の歓楽街に案内されますが、空しさが残るばかりです。役所を無断欠勤して、生の意味を求めてさまよう日々が続きます。
そしてある日、役所の同じ課にいた女子職員が、新たな生き甲斐を求めて玩具工場に転職したことを知ったとき、彼は悟ります。
他人のためになる仕事に没頭することこそ、苦悩を越える道であると。
意外にもそれは、これまで味けないと思っていた役所の仕事の中にありました。彼が選んだその仕事は、町に小さな公園を造るという平凡なものでした。
ところが彼は、人が変わったたように、その仕事に打ち込み始めます。誠心誠意働き、多くの困難にもひるまず、遂にその仕事を成し遂げるのです。
余命を知らされてから半年後、完成した公園のブランコにゆられながら、彼は微笑みをもってその生涯を閉じるのです。
その生き方は、彼を知る多くの者を驚かせ感動させます。
なぜ、彼は変わったのか。なぜ、彼はまったくやる気のなかった仕事に、全力を傾け、命を燃やすように打ち込むことができたのか。
余命を宣告されるまでの彼の長い緩慢な生活ぶりを知る者にとっては、それは大きな驚きであり、疑問でもありました。人は自分の命がわずかだと知らされたとき、こんなにも「生きる」ことを真剣に考え、行動するようになるのです。
本当に価値のあるものを追い求め、そのために残り時間のすべてを捧げ尽くすようになるのだとこの映画は語っています。
生きることができるのは今日だけ
私はときどき、「自分の人生があと一年だったら、何をすべきか」と考えます。
「あと一年の人生だったら」。これは、実はかなり楽観的かもしれません。
死(人生のゴール)がやってくることは確実です。ただ、その日を私だけでなくほとんどの人は知りません。あと十年後かもしれないし、今日かもしれません。
例えば、東日本大震災で亡くなった一万五千人を超える方々は、自分の人生があの日、突然に終わるとは予想していなかったでしょう。事故や病気で明日のいのちも知れない人も現実にいらっしゃいますし、それは自分も例外ではありません。
そう考えると、もし、あと一年も時間をいただけるのなら、有難いことだと思えてきます。あと一年間しかないから、「今日、いま、やろう!」いや、あと一年も時間をいただけると感謝しつつ、「今日、いま、やろう!」と考えていきたいのです。
あと三日あればやりたいこと
ある学校の教員研修会に招かれたとき、テーマが「命の大切さ」だったので、「もしこの世での命があと三日だったら、あなたは何をしますか?」と尋ねて、発表してもらったことがあります。
もし、皆さんのこの世での寿命が、あと三日だとわかっていれば、何をするでしょうか。
ほとんどの人は人生の残り三日間に何をすべきかを必死で考え、すでに考えているなら寸暇を惜しんで実行するでしょう。
先の教員研修会では、「大切な人に手紙を書きます」と答えた人がいました。家族や友人など、一人ひとりへ、自分の思い、彼らと共に生きてきた喜びや感謝の気持ちなどを綴っていくのだと。
それを聞いて、「なるほどそうだな。私も同じことをする。いや、もうすでにしている」と思ったものです。
教師を辞めて以来、私は「あと一年」を意識しながら手紙を書いてきました。いまもこうして書いています。私の場合、雑誌の記事・本の原稿・メルマガなどは、読者に読んでいただく手紙なのですから。
ところで、イエスさまは、生涯をかけて私たちに手紙を残してくださいました。
その誕生前からご死去、ご復活後までの言動を弟子たちが記した「福音書」や「書簡」など。これらを集めた『聖書』は、後の世の私たちへの手紙のようなものです。私たちがこの世でもあの世でも永遠に幸せになれる道や方法が示されています。
永遠と比べると、この世での時間は瞬きほどの短さでしょう。それでも、神さまからの手紙を毎日読み、み心にかなうように今日を生きていきたいと思っています。
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『カトリック生活』2016年4月号 連載エッセー「いのり・ひかり・みのり」第52回 拙稿「今日を生きる」より