記事

人生という時間を活用する

何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。(コヘレト3-1)

時間をどう活用するか、これは誰もが関心があることではないかと思います。

どんな時間の使い方をすればもっと幸せになれるのだろう。まわりの人を幸せにすることができるのだろう。

そういうことを、私もこれまで考えてきました。

時間の活用について考える

 誰にでも一日二十四時間が平等に与えられています。その使い方によって、人は生き生きと有意義な時間を持つこともできます。

ダラダラと悔いの残る時間を過ごすこともあります。仕事上の成功を収めることもでき、その逆もあります。与えられた時間の使い方によって明らかに差が生じ、生き方が、人生が変わるのです。

 書店の棚を見れば、そこには「時間の活用」「時間の効率化」に関する本が所狭しと並んでいます、私もそれらから、どれだけ時間を活用する方法を教えられたかわかりません。

しかし、役に立ったといっても、実際は「ハウツー」として時間への対応の仕方を学んだに過ぎませんでした。それらは、ビジネスでの成功という人生の二次的目標しか上げ得ないものばかりだったのです。  

 時間を何のために、どのように活用すべきかということの多くを、私はキリストの教えから学びました。

 「時間の活用法」を説く一般の書物には見られない高邁で深遠な神の叡智を知ることができました。人生の根本に関わる生き方を知り、目が開かれる思いがしたものです。

PR

時間の活用は目的達成にある

 一般に時間を活用するには、必ず目的というものが関係してきます。

 例えば、試験に受かりたいという目的を持つ人がいるとします。その人にとって、ある決まった時間に他のことをしないで勉強するのは、時間の活用になります。

 しかし、もしその勉強時間にテレビを見たり居眠りをしたりすれば、時間を無駄にしてしまいます。

 人はそれぞれ目的を持って生活しています。その目的をはっきり意識して、そのために時間を使うことは、時間の活用の大事な条件となるのです。

 ところで、私たちに共通する人生の目的は何でしょうか。  

 その答えを探し求めている人は、大勢いることでしょう。確信が得られずに、自分がまるで暗闇の中で光を求めさまよっている旅人のように感じることもあるでしょう。自分の進むべき道が見えず、人生は苦しみの連続だと思い込むときもあるでしょう。

また、人生の目的を、金儲け、社会的地位の向上、名誉の獲得、あるいは快楽の追求などと考えている人もいます。「楽しければいいじゃないか」と、その時の気分や雰囲気に身を任せ、目的を深く考えようとしない人も少なくはないでしょう。   

 そのような人々は、精力的にあるいは流動的に動いてはいますが、いつまでたっても満たされない思いを抱き続けるだけです。それは、まるで砂で家を造ろうとする行為に似ています。刹那的で、はかなく、いつかは壊れ、なくなってしまう物を求めているからです。

しかも人間の欲望は限りがなく、欲望を満たそうとしても、常に満足することなどあり得えません。

人生の目的を人間の創造主である神抜きに考えれば、人間の限られた知性が生み出した独りよがりに陥ってしまう危険があるのです。

神さまが教える人生の目的

神はなにゆえに私たちを造られたのでしょう。カトリック教会では次のように教えています。

 「神は、無限に完全、他にたよることのない至福そのものであって、ただいつくしみによる計画から、ご自分の至福ないのちにあずからせる人間を自由に創造されました」((『カトリック教会のカテキズム』1)

「神へのあこがれは人間の心に刻まれています。人間は神によって、神に向けて造られているからです。神はたえず人間をご自分に引き寄せておられます。人間はただ神のうちにだけ、求めてやまない真理と幸福を見いだします」前掲書27)

 神が人間をどのような意向で造られたのか。まさにそこに、私たちの生きる目的があります。この目的を受け入れ、自分のものとしたとき、私たちの人生の一日一日は、これまでと違った意味もつようになります。

この世での成功や名誉や物質的な欲望などに流されず、永遠不変なるものと向き合う人生を歩むことができるようになります。日々の仕事や勉強の時間も、家族や同僚、友人との付き合いの時間も、いっそう大切なものになってきます。

しかし残念ながら、この日本で神の教えを受け入れている人はごくわずかしかいません。人生という時間を本当に意義あるものとする教えを多くの人は知りません。一カトリック信者として、できるだけまわりの人に伝たえていきたいと私は思っています。

・・・・・・・・・・

『カトリック生活』2016年3月号 連載エッセー「いのり・ひかり・みのり」第52回 拙稿「人生という時間を活用する」より