希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。(ローマ5・5)
希望をもって夢を語ることの意義について考えてみましょう。
信仰とは直接関係ないのですが、まず聞いていて面白かった話をご紹介します。
滋賀県草津市にある教育ソフトの制作販売会社タオの社長、井内良三さんという友人の話です。
「百歳で百キロ完歩」の夢
井内さんは、昨年十月に琵琶湖の約半周を一昼夜かけて歩く「第4回びわ湖チャリティー百キロ歩行大会」に参加しました。超大型台風二十一号の影響で強まる風雨の中、冠水した道路を歩く最悪の環境下、彼は約七百人の参加者中、十番目の記録で完歩しました。
友人たちは、「五十八歳なのにスゴイ!」とほめてくれましたが、奥さんは、「でも九位の人には負けたでしょ」と、にべもありません。七歳年上の奥さんはすこぶる元気で、「五十八歳は、まだまだヒヨッコ」と思っているそうです。
売り言葉に買い言葉、「なら、百歳で百キロ完歩ならスゴイかい?」
「それは、スゴイと思う」
「じぁ、僕が四十二年後、百歳で百キロ完歩したら、ゴールに迎えに来てよ」
「……いいわ。」
こんなやりとりがあり、二〇五九年、「百歳で百キロを完歩した私を、百七歳の妻がゴールで迎える」という壮大なドラマが井内さんの夢に加わったそうです。
この話をご本人から聞いて、大笑いました。井内さん夫妻は、二十数年前に二人で起業した会社で、第十回日本e-Learning大賞の「天神」を創り出した有言実行の方々です。
この夢も、年賀メールで公表していたので、本気です。でも、さすがに難しいと思います。これまで以上に節制しながら百キロ歩行できる健康と体力を維持し、あと四十二年間、夫婦仲良く生活していかなくてはなりませんから。
難しくとも、いつまでも夢と希望をもってがんばっていこうとする姿勢に、同じ歳の私は、笑いながら大いに励まされたものです。
あえて夢を語る
おかげで、私も前から考えていた夢を周囲に語る勇気を得ました。
「僕は百歳まで働く。死後、僕の絵本はミリオンセラーとなり、印税はすべて献金する」。
そう語ると、周囲の人たちから、あきれ顔で言われました。「まず百歳まで生きるという前提が無理」「百歳まで働くなんてさらに無理」「そういう人は特別な人だよ(あなたには無理)」という予想通りのつれない反応でした。
まあ、いいのです。
夢をかなえるにはいくつか方法があります。たとえば、
夢を持つ。
夢を紙に書く。
書いた夢を毎日見る。
夢を具体的な目標にする。
夢を分割する。
夢を口にする。
夢をかなえた人とつきあう。
夢をかなえた人に倣い、学ぶ。
など。(参照、拙著『ラッキー!』PHP研究所。現在は電子書籍のみ)
この中の、「夢を口にする」のは、ちょっと恥ずかしくて勇気がいることです。
でも、口にして表明することで、決意はいっそう強まります。まわりの人から、「無理だよ」「馬鹿々々しい」と言われたり、無視されたりしても、そのおかげでいっそう本気になれるのです。
しかも、挫けずにがんばっていれば、応援してくださる人が必ず現れます。どれだけ一所懸命やっても、夢は自分の力だけは実現できません。いつも誰かの助けがあってかなえていただけるのです。
応援を受けて歩み続ける
ここには、あえて書きますが、私たちの夢の最強最大の応援者は誰か、それはもちろん神さまです。
イエス・キリスト自身、死後三日目に復活するという夢のような話を語りましたが、弟子たちは信じていませんでした。しかし、人間には不可能に思えても、神さまが望まれるなら、実現するのです。
私たちの夢も、どれだけ困難があり、自分が弱く非力であっても、神さまの望みと一致していれば、かなうでしょう。いや、かなえていただけるのです。
私たちは、イエスさまとつき合い、イエスさまに倣い、学んでいくことで大きな力をいただけます。祈りの中で神さまは私たちをいつも励ましてくださいます。実生活の中でも、人や出来事や言葉や文字などを通して力づけてくださいます。
私の場合、井内さんのお話だけでなく、二年前に、百三歳の日野原重明先生の講演をお聞きしたときもそうでした。
講演の最後に、「前進、前進、前進!」と鼓舞する言葉をいただいたとき、大きな力を得ました。百歳を超えても精力的に仕事をし、まわりの人に仕え、思いやり、自ら前進し続けていた人に出会えたのは、心の財産となっています。
ところで、誤解のないように書いておきますが、この拙文は私たちの長寿を願うために書いたのではありません。
私たち一人ひとりに神さまが望まれる寿命は異なります。無為に長生きするより価値があるのは、短くとも幸せに神さまや人に役立つ生き方を全うできることでしょう。
そのようなみ心にかなった生き方は、何歳であっても可能です。人生の道を、いつも希望をもって前向きに歩いていくなら、ずっと応援してくださっていた方々がゴールで迎えてくださいます。神さま、マリアさま、守護の天使、私たちが愛し愛してくださった方々も……。
・・・・・・・・・・
『カトリック生活』2018年7月号 連載エッセー「いのり・ひかり・みのり」第80回 拙稿「夢と希望をもって歩む」より
中井俊已(なかいとしみ)
長崎大学在学中、ローマにて聖ヨハネ・パウロ二世教皇より受洗。私立小・中学校教諭を経て、現在は芦屋市にて作家・教育評論家として執筆・講演活動を行っている。著書に『マザー・テレサ愛の花束』(PHP研究所)『永井隆』(童心社)『平和の使徒ヨハネ・パウロ二世』『クリスマスのうたものがたり』『1945年ながさきアンジェラスの鐘』(ドン・ボスコ社)など多数。人気メルマガを無料発信中。