今日という貴重な一日を活き活きワクワク楽しむために、いくつかの名言をご紹介します。
主に、中高年向けの内容ですが、まだまだ若手だと言われる人でも参考になるかもしれません。
人生という時間は、どれだけあるか、明日死ぬ人にも、100歳まで生きる人にも、わかりません。
ただ、誰にとっても有限です。
この貴重な時期を、どのようにすれば元気に、喜びをもって過ごせるのでしょう。考えていきましょう。
元気になれる名言を心にもつ
これからの毎日を活き活きワクワク楽しむために、いくつかの名言をご紹介します。
これからの時代においては、人生も仕事も、65歳から再スタートするという事実を受け入れなければならない。
ドラッガー(オーストリア生まれの経済学者)
人生は何度でも再スタートできます。
とりわけ、定年退職してから、自由で楽しい人生が始まるのです。
10代でも、どうしようもない年寄りもいるし、70、80になってもハツラツとして夢を見続けている若者がいる。
岡本太郎(芸術家)
夢を持ち、ハツラツと活動している人は、若い。
年齢ではなく、心が若さを表すのです。
若いことは素晴らしいことだが、
成熟して経験豊かだというのも、
それに劣らず望ましいことである。
バーナード・バルーク(アメリカの政治家・投資家)
シニアの強みは経験です。
これからの新しい活動のために、これまでの成功も失敗もすべてが強みになります。
恋愛に年齢はない。
それはいつでも生まれる。
パスカル(フランスの哲学者)
胸がときめき、恋が始まります。
運命の出会いは、今日、これからあるかもしれません。
年をとるのはいいことだ。
とってみなければわからない世界が開けてゆく。
坂村真民(詩人)
山頂に登るまでの道程で美しい景色が開けてくるように、年齢を積み上げることで、これまで見たことのない世界が開けていきます。
柔軟性を持っている者は
いくら年をとっても若い者だ。
ユダヤのことわざ
自分を変えようとする人は、若い。
心と考え方が柔軟なれ、何歳であっても自分を変えることができます。
失ったものを数えるな。
残ったものを最大限に生かせ。
ルートヴィッヒ・グッとマン(イギリス・パラリンピックの父)
時間は過ぎ去ります。
それでも今という時間は失われていません。
身体の衰えや病は誰にでもやってきます。
それでも、ほとんどの身体能力は有効に働きます。
自分に与えられた時間と能力を最大限に生かせば、まだまだいろいろなことができるのです。
六十歳は人生の花、
七十歳で迎えがきたら留守だといえ。
八十歳で迎えがきたら、早すぎるといえ。
九十歳で迎えがきたら、急ぐなといえ。
百歳で迎えがきたら、ぼつぼつ考えようといえ。
仙厓和尚(江戸時代後期の臨済宗禅僧 88歳)
人生100年生きるつもりでいれば、60歳のときは、あと40年の時間があることになります。
先はまだまだ長い。やれること、できることは多いのです。
慌てず、急がず、自分の可能性を追求できるチャンスがあります。
喜んでいると喜びが増える
喜べば、喜びごとが、喜んで、喜び連れて、喜びに来る (道歌)
「清少納言は喜ぶことの天才だ」と初めて聞いたときは、驚きました。
『九十歳。生きる喜び 学ぶ楽しみ』の著者清川妙さんの言葉です。
清少納言が鋭敏な感性で自然現象や日常生活の些事をとらえて、「いとをかし」(たいへん面白い)「いとうれし」(たいへんうれしい)などと、簡潔で歯切れの良い文章で表現していたのをふと思い出しました。
『枕草子』の「春はあけぼの」と「にくきもの」の段ぐらいを中学・高校の教科書で読んだことしかない私には、清少納言よりも、清川妙さんこそが「喜ぶことの天才」少なくとも「喜び上手」に思えてきます。
清川妙さんは、1921年生まれ。教職を経た後、エッセイ、古典評論、映画評論などの執筆活動のほか、万葉集、枕草子、手紙などの講座や講演会などでご活躍された方です。
『徒然草』についても教えたり、書いたりされています。
「『徒然草』の兼好も言っている。”存命の喜び、日々に楽しまざらんや”と。一日一日のいのちをていねいに愛でて、養い、いのちの終わる日までふっくらと生き抜きたい、といつも思っている」
なるほど、「喜び上手」の清川妙さんにかかると、『徒然草』も、”存命の喜び”の書になるのかと驚きました。
90歳の清川さんは、プラス思考で、前向きで、ほめ上手で、仕事や日常生活にいつも喜びを感じ、学ぶことや教えることにおいて楽しみ、お元気そのもの。心の持ちようで、どんなに高齢であっても、私たちは生き生きと暮らしていけるのだとな思えます。
聖書には、「いつも喜んでいなさい」という聖句があります。
いつも喜でいるには、何か特別なことが起こるのを待っていては、無理でしょう。
日常生活の平凡なことに、喜びのタネとなるような積極的に見つけることだと思います。
私たちの日常生活の中にも、自然現象の中にも、「いとをかし」「いとうれし」と思えるものはたくさんあるはずです。
さらに、喜びは一人でじっくり味わうのもいいですが、言葉や表情に表すと、きっと良いことがあります。
たとえば、人から何かをしてもらって「うれしい。ありがとう」と笑顔で言うと、あげた人もうれしくなるものです。そして、また何かしてあげたくなります。
ですから、日常生活の小さな平凡なことにでも喜び、感謝する人は、また人から神様から素敵なプレゼントをもらえるのです。
そのプレゼントは、言葉であったり、親切であったり、笑顔であったり、食べ物であったり、自然の美しさであったり、いろいろですが、また私たちに喜びを与えるのです。
参照:清川妙著『九十歳。生きる喜び 学ぶ楽しみ』(海竜社)
疲れたらのんびりと休む
疲労と悩みとを予防する第一の鉄則は、たびたび休養すること。疲れる前に休息せよ。
デ-ル・カ-ネギー(社会教育家 享年66歳)
働いて、疲れたら、休む。これは自然です。
休めば、疲れは癒されます。
シニアになると、ふうつ体力は落ちてきますので、無理をせずに適度に休めばいいですね。
休みなくがんばって働くと、効率がいいかというと決してそうではありません。
毎日働きずくめだと、仕事の効率は落ちてきます。
逆に定期的に休みを取ったほうが、仕事の効率は上がります。
『人を動かす』『話し方入門』などの著書でも知られるデ-ル・カ-ネギ-氏は、『道は開ける』の中で一章を割いて、休みの重要性を力説しています。
人間は活動し続ければ、疲れます。疲労は一旦たまると驚くべき速度で蓄積するのです。そして次第に活動をにぶらせます。
「だから、疲労と悩みとを予防する第一の鉄則は、たびたび休養すること、疲れる前に休息せよ」と彼は言うのです。
そして、働き続けるよりも途中で休憩を入れた方がいかに仕事の能率が上がるかを、様々な実例や実験結果をあげて説明しています。
スティーブン・R.コヴィー博士の名著『7つの習慣』の7つ目の習慣は、ご存じでしょうか。「刃を研ぐこと」つまり「次の活動の準備として休むこと」です。
働き過ぎて病気になったりしたら大変です。
疲労のため、イライラしたり、塞ぎこんでしまったり、始終憂鬱そうな顔をしていたりしたら、家族生活にうるおいがなくなります。
身も心もすり切れてノイロ-ゼになる前に、適度に休むことにしてはどうでしょう。
ただ、休むというのは、ゴロゴロ昼寝をしたりしていることだけではないでしょう。
「休むとは何もしないことではなく、別の活動でくつろぐことだ」(聖ホセマリア・エスクリバー)なのです。
休み方の一つの原則は、普段あまりしない活動でくつろぐことです。
肉体的な作業を主にする人なら、その作業の合間に読書をすることは体の休息になります。
逆に主に机に向かって読んだり書いたりする仕事の多い人なら、軽い運動が心身をリフレッシュできます。
この原則を上手に利用すれば、確かに私たちは時間をもっと活用できます。
休みながら、楽しく、自分にとって価値ある活動はできるのです。
ショッピングに出かけてもいいし、ドライブに行くのも気晴らしになります。
音楽を聞いたり、本を読んだり、映画を見に行ったりすすのもいいですね。
好きなお店で好きなものを飲食するのもいい。
もちろん旅行に行って、非日常にどっぷりひたるのもいいですね。
私はよく散歩にでかけます。
部屋の掃除も、モヤモヤ解消にはおすすめです。
「散らかった部屋はその人の心の状態を表す」ともいわれます。
掃除で体を動かすことはストレス解消にも効果があり、片付いた部屋は気持ちをスッキリさせます。
「掃除をしなれば」と思うと逆にストレスになってしまいますが、「少し時間が空いたら、掃除をしたいな」と思っていると、楽しみになります。
「部屋全体を」と目標設定するとまとまった時間が取れるまでできませんが、「今日は机の上だけ」と掃除エリアを限定すると5分でもできます。
そして、「きれいになった」という達成感が得られると気分もリフレッシュします。
それに、身体を動かしていると、健康にも良いのです。