先日、フランシスコ教皇が帰天され、いま世界中の人々が教皇に思いをはせています。
平和や貧しい人々のために尽力され、気さくで庶民的だったフランシスコ教皇は、宗教や人種の壁を越え、世界中の人々から敬愛されていましたから。
そこで、今回の記事では、フランシスコ教皇も毎日されていた「祈る、神に感謝する」ということを取り上げます。
特定の宗教に勧誘しようとしているのではないので、ご安心ください。
祈りとは?
祈りとは、何でしょうか。
祈りとは、神様との対話です。
誰かと話しあったり、付き合ったりすることで、その人と親しくなれるように、祈りによって神様と親しくなれます。
友だちのようになれます。
尊敬できる先生の生徒・弟子のようにもなれます。
敬愛する父親の子どもようにもなれます。
祈りによって助けを求める
心から祈れば助けてもらえることがあります。
ちょっと極端な例ですが、マザー・テレサの例をあげます。
この本にも書いたことです。
ある日、一人のシスターが、マザー・テレサのところに来て心配そうな顔で言いました。
「マザー、金曜日と土曜日の分のお米がありません。このことをみんなに伝えた方がよろしいですか」
このままでは、お世話をしている大勢の人々が空腹のまま二日間、何も口にすることができません。
このようなとき、マザー・テレサのとる態度は決まっています。
神を信頼して、祈るということです。
「二日分のお米がなければ、大勢の人々がお腹を空かせてしまいます。今、飢えて動けない人もいます。 私は食べられなくてもかまいせん。どうか貧しい人々に必要な食べ物をお与えください」
このように一生懸命祈り、他の人にも祈りを頼んだのだと思います。
神様はそのような祈りを聞き入れてくださいます。
金曜日の朝九時、不思議なことが起りました。
予告もなしに、何千個ものパンを積んだトラックが到着したのです。
その日、なぜか政府の意向で学校が休校になり、学校で配られるはずのパンが、すべてマザーたちのもとへ運ばれてきたのです。二日分の食料不足は、これで解決しました。
ある人は、これを偶然だと思うでしょう。
でも、マザー・テレサに偶然はありません。神様が助けてくださったと確信していました。
実際に、このような助けはマザー・テレサにはよく起こったのです。
日々、感謝する
祈り求めれば、私たちも、もちろん助けてもらえます。
実際は、すでに毎日、助けられ守られているのですが、祈ればそれが実感できるようになります。
そして、もっと助けてもらえるようになるでしょう。
では、どうやって?
もっと助けてもらうにはどのように祈ればよいのでしょうか?
それはお願いするよりも、むしろ感謝すればいいのです。
それは人間どうしの関係と同じです。
人間には、何かしてあげているのに気づきもしない、してもらって当たり前だと思っている人がいるものです。
そういう感謝知らずの人が、困ったときだけやってきて、助けを求めても、ふつうは耳をかしたくないでしょう。
でも、普段からささいなことにも感謝してくれる人が助けを求めにやってきたら、やはり何とかしてあげたくなるのが人情というもの。
神様も同じだと考えていいのです。普段からいつも感謝している人が困って助けを求めたら、もっと助けてあげたくなるでしょう。
マザー・テレサは、日々、「お願いします。助けてください。」と祈っていました。
でもそれ以上に、「ありがとうございます。いつも感謝しています」と祈っていたのです。
神様に感謝する理由
神様に感謝する理由を、助けてもらうためと解釈できる書き方をしました。
でも、本来、助けてもらう以前に感謝する理由はたくさんあります。
神様が命を与えてくださったから。
今日一日という時間をくださったから。
家族、愛する人々を与えてくださったから。
美しい自然、多種多様な生き物、美味しい食物、天地万物を創ってくださったから。
感謝すると、自分が恵まれていることに気づきます。
教皇フランシスコやマザー・テレサは、よく祈りよく感謝する方々でした。
教皇フランシスコもマザー・テレサも、豊かな恵みをいただき、その恵みを惜しみなく分け与えることができる方々でした。
最後まで読んでくだってありがとうございます。