愛されることよりは
愛することを望ませてください
アッシジの聖フランチェスコ
「祈り」は人生に不可欠です。
祈りによって、神さまの愛を知り、自分の進むべき道を照らされ、力と励ましをいただいた経験のある方なら、おわかりいただけると思います。
何もしていないように見えても、大きな価値のあるものなのです。
祈りには、力がある
たとえば、インドのコルコタの貧しい人を救うためにたった一人で行動を起こしたマザー・テレサ。
彼女はその活動を世界中に広げた大変な活動家でしたが、「祈りをしなれば私は何もできない。無力だ」と常々言われていました。
世界の人々を平和に導く行いを果敢に実践され、民族と宗派を超えて世界中の人々から尊敬された前教皇ヨハネ・パウロ二世も、そうです。
「祈りこそがすべての活動の原動力だ」とおっしゃっていました。
(ちなみに私の友人いわく・・・「祈りは、毎日食べるご飯のようなもの、かな。朝飯抜きで、昼飯抜きで、夕飯も抜きだったら、何もできないよ」)
では、先のお二人、マザー・テレサとヨハネ・パウロ二世が好んで唱えた有名な祈りをご紹介します。
平和の祈り
平和の祈り
神よ わたしを
あなたの平和のために用いてください。
憎しみのあるところに 愛を
争いのあるところに 和解を
分裂のあるところに 一致を
疑いのあるところに 信頼を
誤りのあるところに 真理を
絶望のあるところに 希望を
悲しみのあるところに よろこびを
暗闇のあるところに 光を
もたらすことができますように
助け導いてください。
神よ わたしに
慰められることよりは 慰めることを
理解されることよりは 理解することを
愛されることよりは 愛することを
望ませてください。
わたしたちは 与えることによって与えられ
すすんでゆるすことによってゆるされ
人のために死ぬことによって
永遠に生きることができるからです。アーメン
拙著『ヨハネ・パウロ二世 愛と勇気の言葉』より
宗派を超えて唱える祈り
この祈りについて説明を加えておきます。ご興味のある方はごらんください。
一九八六年、そして二〇〇二年、ヨハネ・パウロ二世の呼びかけで、世界の宗教指導者たちがイタリアのアッシジに集まり、ともに世界平和のために祈りをささげました。
世界の諸宗教が一堂に会して、同じ目的のために祈りをささげたのは、歴史上、画期的なことです。
その基本的な精神となったのが、アッシジの聖フランチェスコが十三世紀に作ったといわれる「平和の祈り」でした。
聖フランチェスコは、福音の精神に従って自ら貧しい生活に甘んじ、人のためにたくさんの祈りと償いをささげ、平和をもたした聖人です。
私たちもそれぞれ自分のいる場で、自分のちょっとした心がけや働きかけを通して、家庭や社会に平和をもたらす人になれるでしょう。
そのための態度と心を謙虚に神に願う「平和の祈り」は、宗派を超えて、いまや世界中の人が唱える祈りとなっています。