私は長崎で人生の大半を過ごしてきた者なので、この度、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産として登録されたことは、単純に嬉しく思っています。
ユネスコ世界遺産委員会において、「国家間の境界を超越し、人類全体にとって現代及び将来世代に共通した重要性をもつような、傑出した文化的な意義及び又は自然的な価値」があると評価されわけです。
しかも美しい教会建造物群だけでなく、十七世紀から十九世紀の二百年以上にわたる禁教政策の下で、密かにキリスト教を伝え守ってきた人々の歴史にスポットが当てられたことをいっそう喜ばしく思っています。大袈裟ですが、長く日陰にあった人々に、いくらか光を当てていただいたような感覚を味わっています。
「信徒発見」
長い禁教政策の後、日本のカトリック信者に光明が差した出来事が百五十三年前にもありました。この度登録された世界遺産の一つ、大浦天主堂を舞台にして起こった、「信徒発見」です。
幕末、長く続いた鎖国がとかれ、一八六四年、長崎の大浦に西洋人のために教会が建てられました。長崎浦上地区で潜伏していた信者たちは、胸をときめかしました。
その「フランス寺」と呼ばれる建物が、先祖代々伝えられてきた自分たちと同じ信仰の教会だと聞きつけたからです。「確かめよう」との声が出ますが、「役人に見つかったら殺される」という危険がありました。しかし、翌年、女性中心の信者十五名ほどが出かけて行くことにしたのです。
出迎えたパリ・ミッションのプチジャン神父は、その時、一人の婦人が発した言葉に仰天し感動します。
「私たちの心は、あなたの心と同じです。サンタ・マリアのご像はどこですか」
禁教の弾圧下、一人の神父もいない中で、二百年以上に渡って信仰を守りぬいてきた人たちの信仰表明だったのです。
以後も続いた迫害
しかし、江戸幕府が倒れ、文明開化を謳う明治時代になっても、政府によるキリスト教への迫害はやみませんでした。
一八六七年、「浦上四番崩れ」と言われる今までもっとも大規模な迫害が起こります。浦上の三千三百人以上が捕らえられ、全国十九藩ちりぢりに流刑となったのです。
異教の地で彼らを待っていたのは、情け容赦のない拷問と責め苦でした。政府は、一気に浦上地区のキリスト信者を潰滅させようとしたのです。耐え切れず信仰を捨てる人もいましたが、殉教した人も六百六十人以上を数えました。
一八七三年、宗教の自由を訴える欧米列強諸国の指弾を受けて、政府はキリスト教解禁の布告を出します。許されて浦上に帰郷した人々は、一八七九年に小聖堂(後の浦上天主堂)を建て、ようやく表立って信仰生活を送ることができるようになります。
しかし、それ以後も長崎ではキリスト信者に対する偏見と差別はなかなか消えなかったそうです。長く暗い歴史を背負ってきた子孫たちは、大正、昭和となっても、職場や学校で差別やいじめを受けることがあったと聞いています。
日本社会がキリスト教に対する偏見を一変させたのは、戦後になってからかもしれません。一九八一年に長崎で聖ヨハネ・パウロ二世教皇をお迎えしたとき、涙を流す老人たちを見ながら、ようやく長崎の信者さんたちの辛苦が報われたと私は感じました。
カトリック教会にも光が
この度の世界文化遺産登録は、教皇来日以来の朗報に私には思えます。
禁教政策によって、拷問を受け、殉教していった多くの人々の人生。潜伏しながら、何代にもわたって、必死に信仰を守り通してきた数えきれないほどの人々の人生に、教会の外から輝かしい光が当てられたのです。
これは、長崎や天草の人々だけでなく、日本の教会全体にとっても幸いなことだと思います。また、私たち信者にとって、カトリック信仰の良さをまわりの人々に伝えるチャンスともなります。
この度の世界文化遺産登録によって、一般の人が、神とその教えに出会う機会は増えるでしょう。観光目的で訪問し、地元の祈りの場を乱す旅行者がいるかもしれません。
それでも、信者が真摯に祈る姿に心を動かされ、神の教えに導かれる人も出てくるでしょう。キリシタンたちの生き方や遺産にふれ、自分の人生を見つめ直す人も少なくはないでしょう。
私がカトリックの信仰に導かれた理由の一つは、長崎大学生の時に、長崎の殉教者の歴史の数々を知ったことでした。興味本位で調べながら、なぜこれほどまでに命懸けで信仰を守ろうとしたのか、その生き方や教えに惹かれていきました。
名もなく実りもないような彼らの人生は、決して無駄でも無意味でもなく、神に喜ばれるものであったはずです。キリスト教について無知であり偏見しかもたなかった私のような者にも、人生を変えるほどの影響を与えたのです。これから先、どれだけ多くの人々にどれだけ多くの恵みをもたらすことでしょうか。
現代のキリスト信者は、もう隠れる必要はありません。私たちの信仰と遺産に誇りをもち、堂々と神の教えを伝えていきましょう。自分の日常生活において、神の栄光を輝かせ、家族、友人、同僚、教え子、知人たちを永遠の幸福に導くことができればと願っています。
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『カトリック生活』2018年9月号 連載エッセー「いのり・ひかり・みのり」第81回 拙稿「世界文化遺産という光」より
中井俊已(なかいとしみ)
長崎大学在学中、ローマにて聖ヨハネ・パウロ二世教皇より受洗。私立小・中学校教諭を経て、現在は芦屋市にて作家・教育評論家として執筆・講演活動を行っている。著書に『マザー・テレサ愛の花束』(PHP研究所)『永井隆』(童心社)『平和の使徒ヨハネ・パウロ二世』『クリスマスのうたものがたり』『1945年ながさきアンジェラスの鐘』(ドン・ボスコ社)など多数。