いい話

ロバと父子の変な話(寓話)

★☆★☆★☆★☆★☆★☆

人の批判はなくならない?

★☆★☆★☆★☆★☆★☆

こんな物語(笑い話?)があります。

ある農夫が息子とロバをつれて畑から家路についていました。

彼は一日の労働を終え、満足気にロバの背にまたがっていました。

すると、近所の知り合いがそれを見て彼をなじったのです。

「いったいなんちゅうこっちゃ。おまえさん、何がそんなにうれしいねん。子どもはどうでもええちゅうんか」

そこで、農夫はロバから降りて、息子を乗せました。

少し行くと、一人のおばさんが、それを見て怖い顔をして叫びました。

「どういしはったんどす。お父さんを歩かせて何とも思いなはらんか。なんて親不孝な息子はんやこと」

そこで、息子はロバを降りて父親と歩きはじめました。

すると、誰かが思わせぶりに言いました。

「やさしいお人やなあー。ロバが疲れたらあかんと思てはるわ」

もうどうしてよい分からなくなった二人は、二人ともロバに乗って行くことにしました。

家までもう少しのところまで来ると、苦しそうにしているロバを見て、誰かが大声を上げました。

「おまえら、犬畜生にも劣るやっちゃ。かわいそうに、ロバは今にも倒れそうなんがわからへんのか」

それを聞いて父子は二人でロバを担ぎ、ひいこらひいこら家まで帰ったとのことです。

というお話・・・

結局、何をしても、誰かの無理解や批判ってあるものではないでしょうか。

人によって立場や見方が違いますからね。

であれば、それをいちいち気にしていても仕方がない。

無理解や批判は、人様のために正しいことをしていてもあるものです。

たとえば・・・

マザー・テレサがインドのカルカッタで、死ぬそうな貧しい人びとの世話をするために、「死をまつ人の家」を作ったとき、快く思わない人が大勢いました。

路上で死んでいく人たちの世話をできる施設をつくりたいと市役所の役人とかけあったところ、提供された場所が、なんとヒンズー教の大寺院の中の一部だったからです。

ヒンズー教の人々は眉をひそめました。

「わしらの神聖なる寺院で、カトリックの修道女が何さらしとんねん!」

それ以後、罵詈雑言を浴びたり、石を投げられたりするのは、マザー・テレサにとって日常茶飯事でした。

中には「殺したる!」と口走る男もいました。

そういうとき、彼女は一歩もひかず毅然として言い返しました。

「どうぞ、殺したいなら殺しなさい。でも、私が死んだあとは、あなたがたがこの施設での仕事を続けてください」

批判をしていた人たちはタジタジになって引き下がり、マザー・テレサは何事もなかったかのように、また仕事を始めました。

人の無理解や批判は気にせずやろう。