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二時間おきの解熱剤よりも
有益なもの
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先日、不覚にも病に倒れました。
激しい下痢が止まらず、食事がまったく喉を通らずで、体力は衰えるばかり。
三日目になって、やっと病院に診察に行けました。
特定できないが、腸内ウイルスに感染したのだろうとの診断。
点滴を受けることになりました。
点滴ははじめての体験です。少し不安でした。
担当は若い女性の看護師さんでした。
「はい、中井さん、では針を刺します。ちょっとチクッとしますよ」
言われるほど、針の痛みはありません。
体内に液が流れていき始めました。
「ああ、だいじょうぶ、ですね」
マスクの向こうに彼女の表情は隠れていたのですが、そのまなざしと言葉の響きにこぼれそうな笑みがありました。
そうして三時間の間に、何度足を運んでくれたのでしょうか。
そのたびに
「だいじょうぶ、順調ですね」
「寒くないですか?」
「ああ、もう終わりそうですね」
などと短く温かな声をかけてくれました。
わたしは体に少しずつ力が蓄えられていくような幸福を感じながら、かつて読んだフローレンス・ナイチンゲールの言葉を思い出していました。
「二時間おきの解熱剤よりも、ナースのおとずれがどれほど患者にとって有益であることだろう」
薬や注射は、もちろん病気の人にとって有益で必要です。
でも、たぶんそれ以上に必要で有益なのは、ナイチンゲールが言うようにそれを施す人の気配りや愛情なのでしょう。
足を運んで温かく声をかけてくれること、優しいまなざしを注いでくれること。
あの若い看護師さんは何ら特別なことをしたわけでありません。
たぶん医療者として当たり前の心配りだったのでしょう。
でも、それだけの小さな愛情でも、心細い病人には大きな幸福をもたらすものなのだと、自分が看護される側になって気づきました。
かつてマザー・テレサは言ったものです。
「大切なのはどれだけたくさんのことや偉大なことをしたかではなく、どれだけ心をこめたかです」
わたしたちにできることは、いつも小さな平凡なことです。
でも、それに心をこめて、愛を注げば大きな価値があると彼女は考えていたのです。
「心をこめて、愛を注ぐこと」
それは医療の現場でなくてもできることです。
自分の職場で、あるいは学校、家庭、街のなかで、その気になれば、誰にもできることでしょう。
疲れている人、寂しそうにしている人、体が思うにまかせないご老人。
そういう方々に温かく声をかけること、ちょっと手助けすること、笑顔で接すること。
ただそれだけのことに、どれだけ大きな価値があるか、あの若い看護師さんに改めて教えていただいたような気がしています。
小さな行いや言葉に愛をこめよう。
PS.「先日」という出だしですが、これを書いたのは相当前です。おかげさまで、現在のわたしは至って健康です。