▼あるメキシコ人の神学生の感動的な話です。
この神学生とともに同じ神学校で学んでい日本人の神父さん(当時は学生)から先日、直接にお話を聴きました。
ある神学生が死を前にして願ったこと
スペインのパンプローナ市にある国際神学校で勉強していた、一人のメキシコ人神学生の話です。
母国メキシコの小神学校(中学高校)を優秀な成績で卒業して、百人近い生徒の中から選ばれて、18歳でスペイン留学に送られて来ました。
司祭になるという堅い決意と誇りが言葉や行いに溢れ出ていました。
ところが、2年目に腸に癌が発見されました。
母国に帰って腸を摘出する手術をして、一命を取り留めて、再びスペインに戻って来ました。
下腹部には消化・排泄の器具を取り付けた辛い生活が始まりました。
でも、本人は楽天家で笑顔を絶やさずに頑張りました。
そんなある日、突然に彼の母親が亡くなったという知らせが届きました。
それでも、彼は涙を見せることはありませんでした。
悲しみに耐え、聖堂の一番前列で膝付いて長く祈っている後姿が目に焼きついています。
ところが、ある日の朝食に彼の姿が見えませんでした。
異変を感じて部屋に行くと、痛みで苦しんで動けなくなっていました。
癌が全身に転移していたのです。余命数ヶ月でした。
彼は、その時も人前で涙を見せませんでした。
寿命を知った彼は、たった一つことを願いました。
それは、一緒に生活していた神学生130名全員と一対一で話すことでした。
一人ずつ呼ばれて彼の病室に入って行きました。
「自分はもう神父になる夢は叶わない。
自分の分まで神父になって頑張ってほしい」
話を終えた神学生は一人残らず涙を流して部屋から出てくるのですが、本人は相変わらず快活でした。
彼の目は輝いていました。
けっして希望を失った悲しい顔ではありませんでした。
それどころか、誰よりも幸福そうでした。
神が自分に望まれていることは何か
▼このメキシコ人の神学生は、間もなく亡くなります。
しかし、彼は自分の運命を悲しむ様子を、最後まで見せませんでした。
母の死や自分の死に直面して、彼は自分の人生の意味や自分の使命を誰よりも真剣に考えたはずです。
現実は、自分が夢みたこととは、少し違ったのですが、彼は自分に神が望まれていることを悟り、安らかに受け入れたのです。
自分の使命は神父になって多くの人のために働くことではない。
自分の出会った友たちを一人ひとりを励まし、天国から応援し続けることだと。
▼彼の遺言のような励ましを受けた神学生たちは、その後、神父になり、それぞれの国に帰り、多くの人々のために働いています。
私に話を聴かせてくださったY神父もそうです。
彼は高校を卒業して、すぐにスペインの国際神学校に行き、その後、ローマやエルサレムで、語学や哲学・聖書学・神学を修めた人です。
言葉も習慣もまったく違う異国の地で、ひとり勉強を続けていくのは苦しい時期もあったそうです。
しかし、志を見失わずに、神父になって帰国することができたのは、あのメキシコ人神学生のおかげでもあると言っています。
神にすべてをゆだねたメキシコ人神学生の志は、世界中に散った友たちに受け継がれているのです。
志は受け継がれて
▼今日のお話は、カトリックの神父さんのお話なので、ちょっと理解しがたいところがあったかもしれません。
ただ、宗教を抜きにいえることもあると思うのです。
人を幸せにしたいという志は、人を動かすということ。
そして、人に受け継がれるものだということです。
時間や空間を越えて、人の思いは受け継がれていきます。
それが気高く尊いものなら、なおさら。
私たちも、誰かのそんな大切な思いを胸に秘めて、日々、歩み続けているのではないでしょうか。
人を幸せにしたいという志は受け継がれるものです。 (^.^)
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【出典】 Y神父さんのお話