大学生のとき、教育実習で大失敗した経験があります。
その時の恥ずかしい、苦い経験は、いまで忘れられず、その失敗から得たものが、現在の自分を作ってきたようにも思えます。
この話は、これから教師を目指す方や指導される方にも、お役に立つかもしれません。
ちょっと長いですが、よろしければご覧ください。
教育実習での恥ずかしかった失敗
大学の教育学部四年生のときのこと。
付属小学校での教育実習で失敗をしました。
私が担当したのは、二年四組。
実習生には、他に三人の女子の同級生がいました。
皆、優秀でした。
教室に入ると、初めに各々、自己紹介をしました。
黒板に各自の名前を書いて、
「なかいとしみと言います。
一緒に楽しく勉強しましょうね。よろしくお願いします。」
などと、あいさつをするのです。
その後、子どもたちが各実習生に一つずつ質問をしました。
女子たちには
「◯◯先生は、どんな食べ物がすきですか」
「どんなスポーツがすきですか」
というような質問でした。
最後に私の番になって、一番前の真ん中の席にすわっていた男の子が目を輝かせながらこう聞きました。
「中井先生は、どうして字が下手なんですか」
ショックでした。
実は、前の日にこっそりとかなり練習してきたのです。
でも、比べて見ると確かに私の字が一番下手で子どもっぽいものでした。
ましてや附属小学校の先生方が書く教科書のお手本のような字を見慣れている子どもの目にはなおさらです。
この子は決して悪気や嫌味があって尋ねたのではなく、字の下手な先生が存在すること自体が不思議だったのだと思いました。
「子どもの頃から、ちゃんと練習しなかったからです。これからがんばって練習します」
あの子の純粋な目と言葉は、忘れられないものとなりました。
さて、大失敗したのは、それから一週間後、社会科の授業のことでした。
教育実習での前代未聞の大失敗
前日に魚屋さんを見学した後の授業で、私の生まれて初めての授業でした。
しかも放課後に大批評会という討議がある研究授業だったので、二十数名の教育実習生や数名の教官がずらりと教室を取り囲み参観していました。
授業が始まり、「魚屋さんにはどんなものがありましたか」と発問すると、子どもたちは勢い良く手をあげて発表しました。
前日の見学でノートを取っているのですから当然です。
「さば」「あじ」「ひらめ」など魚の名前、
「はかり」「つりせんかご」など道具の名前。
その都度、物の名前や絵をかいたカードを黒板にはらせました。
しかし、子どもたちの発表は止まりません。
授業は予定していた四十五分間で終わりませんでした。
私は休憩ぬきで、担任の先生の了承を得ず、次の算数の時間をつぶして授業を続けました。
次の発問「魚屋さんは、どんな工夫をしていましたか」で、子どもたちはまた発表し出します。
「つりせんかごを上からぶらさげていた」
「ねふだが大きな字で書いてあった」など。
次の時間もどんどん過ぎていき、ついに給食のチャイムが鳴ったときは、
さすがにマズイと思いました。
そこで、この授業で最も重要な問い「魚屋さんは、なぜこんなにたくさんの工夫をしているのでしょうか」を付け足し、「次の時間までに考えてきなさい」と告げて終えたのです。
つまり時間を二倍もかけ、授業のねらいは達成されず、おまけに一番重要なことを宿題にしてしまったのです。
言語道断、前代未聞のひどい授業でした。
その後の忘れられない言葉
放課後の大批評会では、参観者二十数名から容赦のない言葉を浴びました。
厳しいことを言われて当然です。
研究授業は、皆が参考になる良い授業であるべきです。
原則として、参観者に事前に配布した指導案通りに進めねばなりません。
授業時間が五分でも超過すれば、時間をやりくりして参観してくださる人に失礼ですし、無断で次の算数の時間を奪われた先生や子どもたちにはもっと無礼で無責任でした。
本来してはならないことを私はしてしまったのです。
反省すべきことは自分でもわかっていたものの、二十数名から順繰りに批判されると、やはり落ち込みました。
休日を返上してまで準備を手伝ってくださった指導教官や実習生仲間にも申し訳なく、私はただ小さく縮こまるばかりでした。
しかし、その中でたった一人、次のように言ってくださった教官がいたのです。
「時間がかかったのは、中井君が子どもの発表を最後まで聴いていたからです。教師になっても、子どもの話を一生懸命に聴く先生であってください」
この言葉で救われました。
時間がかかった本当の原因は、私の計画の甘さと指導力のなさ、それに子どもたちが喜んでいるからいいじゃないかという奢りです。
その教官はそんなことは重々わかった上で、肯定的に評価してくださったのです。
それから、五年たち、十年過ぎ、研究討議で浴びた多くの厳しい言葉はすっかり忘れていくのですが、あの教官の言葉だけは私から消えることがありませんでした。
三十年以上たった今も、感謝とともに鮮やかに蘇ってきます。
言葉一つが失意の人を救うことがあり、生き方を導くこともあります。
人が元気になれる言葉、いつまでも心に残る言葉とは、そんな温かさや強さをもつものだと思うのです。
その後、私が人に言葉を届ける執筆業や講演業をするようになったのは、このときの経験が無縁でありません。
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【出典】プチ紳士からの手紙100号記念特別号
『あなたの心に染みるとっておきのいい話集』の拙稿より