いい言葉

行き詰まったときに心と行動に効く4つの言葉+α

仕事や人生に行き詰まったとき、本や人生の先輩の言葉を味わってみましょう。

良い言葉はあなたに新たな気づきや光を与え、人生を支え導く心の糧となります。

この道を進むかどうか迷ったとき

「いま曲がり角にきたのよ。

曲がり角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。
でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの。

それにはまた、それのすてきなよいところがあると思うわ。

その道がどんなふうにのびているかわからないけれど、どんな光と影があるのか―どんな景色がひろがっているのか―どんな新しい美しさや曲がり角や、丘や谷が、そのさきにあるのか、それはわからないの」 (アンの言葉)

ルーシー・モード・モンゴメリー著・村岡花子訳『赤毛のアン』第38章

人生は、選択の連続。

分かれ道に立つことが誰でもあるでしょう。

このまま行くのがいいか、それとも違う道を行くのがいいのか、悩むときもあるかもしれません。

あのとき別の道を選んでいれば・・・と思うこともあるかもしれません。

でも、自分が選んだ道なら、選んで良かったのではないでしょうか。

その道に待っている人や出来事や景色らは、その道を選んだから出会えたものです。

その道を歩いて見えてきたもの、それがたとえ自分の愚かさであっても、
その道を選ばなければ、たぶん気づかなかったものでしょう。

気づいたということは、成長したということ。

謙虚にまたやり直せば、決して選んだことは無駄になりません。

私は23年間続けた教師の道をまっすぐ行かずに、曲がり角をまがって、
執筆や講演をする人になりました。

それで良かったと思います。

そのままの道を行っていたら、この記事も書いていなかったでしょう。

これから進む方向に何があるかわからないけれど、出会った人と共に笑い合って生き、出会った出来事や景色を楽しみ、少しずつでも成長できればと思うのです。

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【出典】ルーシー・モード・モンゴメリー著・村岡花子訳『赤毛のアン』

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小さな仕事を任されたとき

神様が私に望んでいらっしゃる仕事からは逃げない。

そしてどんな小さな仕事でも、
心と力と意の三つを全部使ってベストを尽くす。

そして、周りの方たちを自分のように大切にする。

そういうシンプルな生き方を貫いてきました。

辰巳芳子(料理研究家)

月刊誌『致知』の辰巳芳子さんと(料理研究家)と中谷健太郎さん(亀の井別荘相談役)の対談からの言葉です。

辰巳芳子さんは、1924年生まれで、当時90歳。

いまなお現役を貫く料理研究家の第一人者です。

辰巳さんは、常に順風満帆な人生を歩んでこられたわけでなく、結核を患って、25歳の時から15年ほど療養生活を送っていらっしゃいました。

その時の辛い話は、対談の中には出てこなかったのですが、少しは想像できます。

当時、結核は「死病」と言われていました。

いつ治るのかは定かではなく明日、生きていられるかも、わからず、不安と焦燥の辛い日々を来る日も、来る日も送ってこられたことでしょう。

それを15年間。

幸い、40歳の時に病気が快復しました。

以後、料理研究家であったお母さんの料理教室を手伝うようになり、その道をひたすら邁進されました。

人の生きる力を支える食への提言もされるようになり、その1つ「大豆100粒運動を支える会」は全国の小学校に広がっています。

冒頭で紹介した言葉に続けて、辰巳さんはこう言われます。

「私はこれからも神様のお望みを果たすこと、それだけを思って、その時、その瞬間に与えられた役割を精いっぱい果たしていきたいと思います。」

さて、私たちにも神樣が望まれていることがあるはずです。必ずや。

辰巳さんの場合、これまで人から頼まれた仕事だけをやってきたとのこと。

きっと私たちの場合も、神様のお望みは、人からの頼み事、お願い事としてやってきます。

つまり、人助けです。

困っている人を助けることは、きっと神樣のお望みなのです。

小さなことでいいのです。一人のためでいいのです。

身近なことで、私たちにもできることがきっとあるはずです。

【出典】月刊誌『致知』2016年5月号「一道を歩み続ける我が人生の心得」辰巳芳子著『食に生きて:私が大切に思うこと』

時間を無駄にしたくないとき

あすがある
あさってがあると考えている間は
なんにもありはしない

かんじんの
「今」さえないんだから  東井義雄

校長だった東井義雄先生は、100人いる卒業生一人ひとりに手書きの色紙を贈っていました。

皆、違う言葉が書かれていました。

これはすごいことです。簡単にできることではありません。

それぞれの子どもをよく見て、その個性に応じて、その子に合う言葉を贈っていたのです。

冒頭の言葉は、その40年後に、『東井義雄の言葉 (心の花がひらくとき) 』を書くことになる西村徹くんへの言葉です。

ぼんやりとした小学生だった西村徹くんは、当時、その意味がよくわからなったそうです。

しかも、もらったことさえも忘れる始末。

しかし、教師になり、いくつかの困難に出会い、もがいている時に、偶然にタンスの中からこの色紙が出てきて、恩師の言葉と再会します。

今の自分の姿を言い当てられているようで驚いたそうです。

色紙の言葉が「人生は二度ないのだよ。あなたは、どう生きるのだ」という問いに思えた時、

「私の二度目の誕生とあり、教師という仕事に対し、さらに真剣に取り組み始める契機となりました」

とあります。

恩師の言葉が、長い年月を経て西村先生を鼓舞し、導いていくことになったのです。

いま西村先生も、恩師にならって、卒業生に色紙を贈っています。

真面目さがゆっくり咲かせる 大輪の花

長い冬を 文句ひとつ 言わず ぐちひとつ こぼさず
春には 満開の花を 咲かせる さくら

師の言葉が、教え子の心に「今」生きて受け継がれているのだと思います。

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【出典】西村徹(著)『東井義雄の言葉 (心の花がひらくとき) 』
東井先生の言葉と西村先生の「さくら通信」が合わさった素晴らしい本です。

生きることに閉塞感があるとき

人生はクローズアップで見れば悲劇

ロングショットで見れば喜劇

チャールズ・チャップリン

「ああ、自分はだめだ」「何をやってもだめ」と落ち込んでいる人がいます。

失敗続きのときは、こういう思考回路に陥りやりすいものです。

1つの物差しで人と比べてしまい、自分が人より劣っていると思いこんだり、設定した目標が高すぎて届かなかったりすると、うまくいっていないと思ってしまうんですね。

でも、その人を客観的に見るとそうではありません。

結構、いろいろとうまくいっているんです。

生まれてからこれまで、全体としてはうまくいっています。

人生はロングショットで見るといいのです。

長い目でみると、一度や二度の失敗、一年や二年の苦労って、あって当然なのです。

あるからこそ、人生の味が出るのです。

そして、これから先、面白く楽しいことが待っているのです。

映画でも、ドラマでも、小説でも、主人公のやることなすこと全部うまくいくストーリーってないですよね。

あれば、面白くないでしょ。(笑)

主人公が失敗したり、失恋したり、挫折しそうになったり、波乱万丈いろいろあって、それでも希望を捨てずにがんばるからいいのです。

人生もそうです。

いろいろあって当然です。

時間経てば・・・悩んでいたことは、別にどうでもいいことだったと気づくこともあります。

(あるいは、ほとんどを忘れている)

辛いことがあっても、後から笑い話に変わることもあります。

(まさに喜劇みたいになる)

あの時あんなことがあったのは、自分の成長のために必要だったと気づきます。

(試練を乗り越えた後、感謝できるようになる)

自分の人生をロングショットで見る。

すると、気づくこと、感謝できることがきっと出てくるものです。