9月8日は聖母マリアの誕生日なので、イエス・キリストの母マリアの話をします。
メキシコには、豊かな人の家にも貧しい人の家にも、どの家に行っても、グアダルペの聖母マリアの像が飾られています。
メキシコだけでなく、キリスト教を信じる国の人々(約13億人)は、誰でも「グアダルペの聖母マリア」への信仰をもっています。
この聖母についての実話を短くお話します。
信じられない人は、まったく問題ありません。
興味があれば、ただのお話だと思って聞いてください。
聖母マリアの出現
1531年12月、メキシコ・シティ郊外のテペヤックで、聖母マリアが一人の農夫ファン・ディエゴに出現し、
「私は聖母マリアです。この場所に教会が建てられるように望んでいます。
あなたはメキシコ・シティに行って、司教様にここで起こったことと、私の希望を伝えてください」
と告げました。
ファン・ディエゴは、司教様に会いましたが、司教は信じてくれませんでした。
それどころか、何か聖母に証拠になる物を願いなさいと言いました。
作り話だと思われたのですね。(当然でしょう)
ファン・ディエゴは、聖母にそのことを伝えると、聖母は丘一面に咲くばらの花を持っていくように言いました。
彼は、急いで、そのばらの花をたくさん切り、自分のマントに包みました。
司教様の前で、自分のマントを開け、ばらを見せたのです。
真冬にばらの花が咲くという不思議だけでなく、そのばらはスペインにしかない種類のばらでした。
それだけではなく、マントの内側に彼が出会ったと同じ褐色の顔色、黒い髪の聖母マリアの姿がうつされていましたのです。
驚いた司教は、聖母の言葉を信じなかったことを悔いて、聖堂を建てることを約束します。
聖母マリアの姿が写ったマントの絵
このファン・ディエゴのマントに現れた聖母マリアが、この「グアダルーペの聖母」です。
その後、聖母の望まれた場所・テペヤックの丘に聖堂が建てられ、その中に、このマントが置かれました。
それにしても不思議なのは、聖母マリアの姿が写ったマントの絵です。
普通なら20年くらいでぼろぼろになるばずのマントが500年近く経っても健在であること、聖母の瞳を拡大してみるとディエゴと司教が写っていることなどです。
どんな心配も恐れも要りません。
話をかなりはしょりましたが、私にとって最も興味深いのは、聖母が4回目に出現したときのことです。
ファン・ディエゴは、自分の叔父が重病で危篤なので心配になり、叔父を見舞う行ために、聖母がいつも出現する場所をわざと避けて通ったのです。
聖母から頼まれたら、無学な農夫の言うことなど信じないあの頑固な司教のところに、また行かなければいけませんからね。
それよりも危篤の叔父さんのほうが心配。
つまり、聖母の頼み事より、病気の叔父を優先させたのですね。
わかります。わかります。
しかし、聖母はその別の道の途中で現れて、ディエゴを叱るどころか、こう言うのです。
「私のいとしいファン・ディエゴ、いいですか。
あなたを悲しませたり、怖がらせたりすることは何もありません。
心配しなくてよいのです。
どんな心配も恐れも要りません。
あなたの母である私がここにいるではありませんか。
あなたは私に保護されているのです。
あなたは私の腕の中にいるのです。
これ以上、まだあなたに何か必要なものがありますか。
あなたの叔父さんの病気はもう治っていますよ。安心しなさい」
その後、聖母に頼まれて、ファン・ディエゴはバラの花を摘んで司教に持っていくのです。
聖母が言う通り、その前に叔父さんは完全に健康になっていました。
世界中から訪れる巡礼者
2002年、ファン・ディエゴは、列聖されました。
12月12日は、「グアダルーペの聖母の祝日」と定められました。
現在、聖母の絵は、大聖堂の奥の壁に掲げられ、毎年、2000万人の巡礼者が国内外から訪れています。
【出典】 御聖体の宣教クララ修道会発行:小冊子「グァダルペの聖母」(非売品)・グアダルペ宣教会日本管区HP