紹介する言葉は、偉人や賢人の言葉・名言・格言など、きっと心に響き、そして心の糧になる言葉です。
ちょっとした空き時間や待ち時間に、スマホなどで読めるように短い解説を加えています。
これらの素晴らしい言葉にふれ親しむことで、あなたは生きる勇気が湧いてくるでしょう。
野口英世の言葉
モノマネから出発して、
独創にまでのびていくのが、
我々日本人のすぐれた性質であり、
たくましい能力でもあるのです。
野口英世 1876~1928
明治・大正時代の細菌学者
野口英世博士は、伝染病の研究のためにアメリカに渡り、世界的に有名なロックフェラー研究所で多くの成果をあげた研究者です。
野口博士は欧米の文化のまねをすることに、引け目を感じていませんでした。
でなければ、優れた知識や技術は、いつまでも日本人のものになりません。
外国の文化を吸収し消化したあとに、新しいものを発見し発明するのが日本人の特性だと彼は考えていたのです。
その考えを自らの研究成果で世界に証明したのです。
貧しい農家に生まれ、努力を重ねて世界的な大学者となった野口博士は、こんな言葉も言っています。
「努力だ、勉強だ、それが天才だ。だれよりも3倍、4倍、5倍勉強する者、それが天才だ」
松下幸之助の言葉
何としても二階に上がりたい。
どうしても二階に上がろう。
この熱意がハシゴを思いつかす。
階段をつくりあげる。
松下幸之助 1894~1989
昭和時代の実業家
経営の神様と言われた松下幸之助は、家は貧しく、小学校を中退しました。
体は弱く、学校の成績が特別によかったわけではありません。
彼は、仕事をする上で才能よりも熱意が大切だと言いました。
最初の大ヒット商品となる「松下ソケット」も、売り出した時は全然売れませんでした。
しかし、なぜ失敗したのかを徹底的に調べて、さらに改良を加え、ついには大成功します。
いくら才能があっても、「何としてでも……したい!」という熱意がなければ、新しいものは生まれてきません。
熱意があるからこそ、知恵をしぼって考え抜くことができます。
失敗しても、失敗しても、熱意があれば、やり遂げることができるのです。
【出典】松下幸之助著『道をひらく』(PHP研究所)
上杉鷹山の言葉
為せば成る
為せねば成らぬ 何事も
成らぬは 人の為さぬなりけり
上杉鷹山 1751~1823
米沢藩(現在の山形県南部)藩主
上杉鷹山は、かつてアメリカ大統領J・F・ケネディが最も尊敬する日本人としてあげた人です。
鷹山は17歳で米沢藩(山形県)の藩主となり、その後、様々な改革によって、貧窮していた藩を立て直した名君です。
鷹山は「民の父母」としての根本方針を次の「三助」としました。
・自らが自らを助ける、すなわち「自助」
・近隣社会が互いに助け合う「互助」
・藩政府が手を貸す「扶助」
この方針によって様々な改革を行い、米沢藩は経済的に豊かになるだけでなく、人々の精神も豊かになっていきました。
すなわち、病人や障害者はまわりの人たちが面倒をみて、お年寄りを尊敬し、飢饉のときには富裕なものが、貧しい者を助ける、物質的にも精神的にも美しく豊かな地域を作り出すことができたのです。