下をむいていたら、虹を見つけることはできない。
チャールズ・チャップリン(1889~1977年 イギリス)
世界の喜劇王チャールズ・チャップリンの子どもの頃のエピソードと名言の数々をご紹介します。
両親の離婚、母親は心の病気
チャップリンの映画を見たことがある若い人は、少ないかもしれませんね。
チャップリンはたくさんの映画をつくりましたが、ほとんどが白黒ですして、サイレント映画といって、セリフがない映画もたくさんあるのです。
セリフがない映画なんて、想像できないかもしれませんが、味があって、いいものですよ。
チャップリンは、町の劇場でミュージカルに出ていた父と母の間に生まれました。
でも、父と母はチャップリンが生まれて1年で離婚し、チャップリンは兄といっしょに母親に育てられました。
まずしい生活でしたが、まだお母さんといっしょにいられるだけよかったのです。
チャップリンが5歳のとき、具合が悪かったお母さんは、舞台の上で、声が出なくなってしまいました。
お客さんからさんざんどなられて、舞台がめちゃくちゃになったとき、劇場の人が、チャップリンを舞台にひっぱりだしました。
お調子者だったチャップリンが、まわりの大人をよく笑わせていたのを見ていたからです。チャップリンはそのときも楽しい歌をうたって、舞台をもりあげました。
これがチャップリンの初舞台です。でも、そのあと、お母さんが舞台にあがることはほとんどなくなって、母はそのせいで心をこわしてしまいました。
7歳から孤児院でくらす
けっきょく、チャップリンは7歳のときから孤児院でくらすことになりました。生きていくために、なんでもしました。
そのうち、劇場でのしごとをするようになりました。
お芝居が好きだったから?
どうでしょう、生きていくのにただ必死でしたから。そして、劇団のアメリカ公演に出演したとき、チャップリンのお芝居が映画のプロデューサーの目にとまって、それからアメリカの映画に出るようになったのです。
それからは、山高帽に、ちょびひげ、だぶだぶのズボン――そんなかっこうを考えだして人気を集め、たくさんの喜劇映画をつくりました。
チャップリンの映画は喜劇が多いですが、ただただ楽しいだけではありません。そこには生きていく中での悲しみや、怒りや、せつなさや、風刺がこめられています。
白黒で見た目はちょっと古いけれど、ぜったい楽しいから、みなさんもぜひ見てみてください。
では、チャップリンの名言の数々です。
チャップリンの他の名言
人に大切なのは、自信を持つことだ。
私が孤児院にいたとき、腹をすかせて街をうろついて食いものをあさっていたときでも、自分では世界一の大役者ぐらいのつもりでいた。
つまり勝ち気だったのだ。
こいつをなくしてしまったら、人はうち負かされてしまう。
人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。
幸福を手にするための戦いは美しいものです。
私は雨の中を歩くのが好きなんだ。
そうすれば、誰にも泣いているところを見られなくて済む。
人生は恐れなければ、とても素晴らしいものなんだよ。
人生に必要なもの。
それは勇気と想像力、そして少しのお金だ。
必要なのは知識でなく思いやりである。
思いやりがなければ残るのは暴力だけである。
心に愛を知らぬものだけが憎しみ合うのだ。
人生はもっと美しく、もっと素晴らしいはずだ。
ご覧くださりありがとうございました。