連続テレビ小説は「ゲゲゲの女房」とその原作となった本、村良布枝著『ゲゲゲの女房』についての話です。
連続テレビ小説は「ゲゲゲの女房」
2010年度上半期のNHKの連続テレビ小説は「ゲゲゲの女房」でした。
このドラマ番組、開始当初は、時間が15分早まったこともあって、視聴率はこれまでの最低レベル14%台でした。
ところが、回を重ねるごとに、ぐんぐん人気が上がり、最後は23.6%の最高視聴率!
全ドラマのトップともなりました!
まさに「終わりよければすべてよし!」
これは、水木しげる(村良茂)さんの奥様、村良布枝さんが二人の生活を回想して語った言葉ですが、番組もそうなったわけです。
水木夫妻は苦労人
さて、前にも紹介したことがあるのですが、水木夫妻は苦労人です。
ご夫妻は、見合いをして、なんと五日で結婚式をあげました。
ものすごいスピード結婚です。
時間がない(本当はお金がない)ので、新婚旅行も行かずに、しげるさんが生活していた東京調布での新婚生活。
しかし、それは決して甘いものではありませんでした。
しげるさんは、当時、売れない「貸本マンガ家」。
朝から晩まで机に向かって一所懸命、描き上げたマンガを出版社にもっていっても、約束の原稿料の半分しかもらえません。
質屋に着物を入れて、ようやく子どものミルク代を捻出する、食うや食わずの貧乏の生活がつづきます。
寝るまもなく夜中まで仕事をしても、出版社が倒産して、原稿料20万円が消えてしまうということもありました。
しかし、布枝さんは、もともとぜいたくをしたいと思う女性ではなく、いつも「なるようにしかならない」と思っていたそうです。
この点、戦時と戦後の窮乏をくぐりぬけてきた布枝さんのような女性は、おだやかで、ひかえめで、(ぼんやりしているようですが)芯はしっかりしているのですね。
見合い結婚でスピード結婚なのに、ふたりは仲がよく、親孝行な娘たちにも恵まれました。
しげるさんは、その後、人気作家となり、いくらか生活も楽になります。
しかし、布枝さんにとって、いちばん懐かしく思いだされるのは、貧乏時代のことだそうです。
「ふりかえると、いちばん辛かったはずのあのころがいちばん懐かしい」
そう思えるのは、貧しくても、ふたりが互いを信頼しあって、懸命に生きてきた証ではないでしょうか。
「終わりよければすべてよし!」
私はこの本の最後のシーンがとても好きです。
ふたりを乗せた車が、境港の家を目指して、中海に浮かぶ夕日に照らされて走る場面。
その夕日が見ながら、布枝さんが思わずつぶやきます。
「終わりよければすべてよし!」
しげるさんは驚いて、布枝さんを見つめ、急にからからと笑い出します。
「おまえ、たまにはいいこというな」
「たまに、ですか?」(笑)
ふたりを包む中海の夕日を私もいっしょに見ているような気持ちになれました。(ちなみに境港は私の生まれ故郷です)
「あの洗うがごとき赤貧の日々も、たしかに辛かったけれど、私は不幸ではありませんでした。
もちろん、惨めだったこと、寂しかったこと、いまも納得できない理不尽なことが、数え上げればキリがないほどあります。
でも、『終わりよければ、すべてよし』なのです」
村良布枝著『ゲゲゲの女房』P.248より
辛かったはずのあのころがいちばん懐かしくなるのですから、人生、後半も楽しみですよ。
「すべてよし!」と言える人生を送ろう。
終りに言えればいいですから・・・(^.^)
【出典】村良布枝著『ゲゲゲの女房』(実業之日本社 )