いい言葉

人にやさしくなれる言葉(浜口国男、杉原千畝、エスクリバー)

紹介する言葉は、偉人や賢人の言葉・名言・格言など、きっと心に響き、そして心の糧になる言葉です。

ちょっとした空き時間や待ち時間に、スマホなどで読めるように短い解説を加えています。

これらの素晴らしい言葉にふれ親しむことで、あなたは自分の心に優しい気持ちを見出すことでしょう。

浜口国雄の言葉

便所を美しくする娘は、美しい子供を産む、

といった母を思い出します。

僕は男です。

美しい妻に会えるかもしれません。

浜口国雄 1920~1976 詩人 

鉄道の職員だった浜口さんが便所掃除の体験と思いをつづった詩「便所掃除」の最後の言葉です。

「便所を美しくする娘は、美しい子供を産む」

便所掃除という仕事を、臭いが伝わってくるほどにリアルに描いたあとのお母さんの言葉には、ハッとさせられます。

浜口さんのお母さんも、便所を美しくする娘だったのでしょう。

だから不思議な説得力がある言葉です。

人のために汚れたところをきれいに掃除すれば、自分の心もきれいにできそうな気がしてきます。

自分の心を美しく磨けば、美しいものを生み出せるような気がしてきます。

 美しい心の人に出会えそうな気がしてきます。

【出典】浜口国雄著『浜口国雄詩集』(土曜美術社)

 

杉原千畝の言葉

私のしたことは外交官としては、

間違ったことだったかもしれない。

しかし、私には頼ってきた何千人もの人を

見殺しにすることはできなかった。

杉原千畝 1900~1986 外交官

第2次世界大戦のさなか、リトアニアの日本領事館の領事代理だった杉原千畝は迫害されたユダヤ人を救うために、日本政府の命令にそむいて、日本通過のビザを発給することを決意します。

自分がどうなるかよりも、人の命を助けることを何より大切に考えたのです。

千畝は、一人でもたくさんの人を助けるために、毎日毎日、朝から晩まで、食事をする時間もなくビザを書き続けました。

腕がはれ、疲れて倒れても、やめませんでした。

退去命令が出て、街をはなれる汽車が動き出してからも、書き続けました。

こうして、彼は6000人ものユダヤ人の命を救ったのです。

戦争が終わり、日本に帰ってきた千畝は命令にそむいたことで、外務省をやめなければなりませんでした。

しかし、助けられた人たちは、彼の英雄的な行動を決して忘れてはいませんでした。

45年後、イスラエル政府から、感謝の印として「諸国民の中の正義の人賞」が贈られます。

そして、正義の人として、多くの日本人もまた、彼を尊敬し誇りに思っています。

【出典】杉原幸子著『六千人の命のビザ』(大正出版)

聖ホセマリア・エスクリバーの言葉

愛徳は「与えること」よりも

むしろ「理解すること」にある。

ホセマリア・エスクリバー 1902~1975

スペインのカトリック司祭・聖人

この言葉の場合、「愛徳」を「友情」に置きかえてもよいかと思います。

さらに次のような言葉が続くからです。

「だから、人を判断せねばならないときには、何か言い訳を捜してあげよう。きっとそれは見つかる」

たとえば、誰か遅刻をしてきたときに、ダメなやつと決めつけず、理解してあげる。時間に遅れてきたのは、たまたま電車が遅れてきたのかもしれない。

体調が悪くて、それでも無理してきたのかもしれない。

その理由を聞いて、理解し、できれば許してあげようというのです。

自分のことを悪く思われたい人はいません。

自分のことを理解してほしい、受け入れてほしい。

ダメなところもあるかもしれないが、わかってほしい。

自分のいいところも、認めてほしい。

たまには、誉めてほしい。

たいていの人は、そう思っているものです。

【出典】ホセマリア・エスクリバー著『道』(精道教育促進協会)