いい言葉

勇気が湧いてくる言葉(アン・サリバン、本田宗一郎、エジソン)

紹介する言葉は、偉人や賢人の言葉・名言・格言など、きっと心に響き、そして心の糧になる言葉です。

ちょっとした空き時間や待ち時間に、スマホなどで読めるように短い解説を加えています。

これらの素晴らしい言葉にふれ親しむことで、あなたは生きる勇気が湧いてくるでしょう。

アン・サリバンの言葉

彼女は人々の思いやりの心を引き出し、

やさしい感情を実行にうつすだけではありません。

もっとも重い障害をもちながら、

こんな偉業を成し遂げられること、

そしてもっとも暗い雲の下でも、

人間は清らかに美しく、

楽しく生きられることを人々に教えているのです。 

アン・サリバン 1866~1936

ヘレン・ケラーの家庭教師       

 三重苦の偉人、ヘレン・ケラーは「奇跡の人」と言われますが、彼女を50年

間も教え導いたアン・サリバンこそ「奇跡をつくりだした人」です。

実は、アン・サリバンも悲惨な少女時代を送っています。

お母さんはアンが9歳のときに亡くなり、お父さんはアルコール中毒。

そのために、アンと弟のジミ-は国の救貧院に送られました。

そのうち、ジミ-は救貧院のひどい環境のなかで、亡くなってしまいます。

アンも総合失調症にかかり、医者からは完全に見放されていました。

しかし、福祉事業家に救い出され、盲学校で学問を学ぶことができたのです。

ヘレン・ケラーと初めて出会ったとき、彼女は目の病に悩む、学校を出たばかりの21歳の教師でした。

当時、野獣のようにふるまっていたヘレンをすべての教師を見放しました。

しかし、アン・サリバンだけは違いました。

たいへんな忍耐力と愛情で、生涯にわたってヘレンを教え導いたのです。

【出典】アン・サリバン著『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(明治図書)

本田宗一郎の言葉

世間の人は、私を成功者だというがとんでもない。

私がしたことの99パーセントは失敗だった。

成功したのはわずかに1パーセントですよ。

本田宗一郎 1906~1991

ホンダ創業者

世界の自動車メーカーホンダの創業者本田宗一郎さんは、子どもの頃、読み書きが嫌いで苦手な落ちこぼれでした。

ただ機械いじりが好きでたまりません。

そのため、高等小学校を卒業すると、町の修理工場に丁稚奉公として就職しました。

そのうちに独立して修理工場をもつと、自分でもっといいエンジンを創りたいと思うようになりました。

28歳で定時制の工業高校に通い、3年間機械工学の基礎を学びました。

好きなことには納得がいくまで取り組む彼は、「世界に通用する車を創りたい」という夢を語るようになります。

まわりの人はあきれて笑いましたが、本田さんは本気でした。

彼はその夢に向かって、どんなに失敗してもチャレンジし続けました。

社員にも、「チャレンジして失敗することを恐れるよりも、何もしないことを恐れろ」と語りました。

町工場で働いていた若者の熱意と努力は、みごとに花咲き、彼が創った車はいま世界中を走り回っています。

エジソンの言葉

天才とは1パーセントの霊感(インスピレ-ション)と99パーセントの汗(パースピレーション)である。

トーマス・エジソン 1847~1931

アメリカの発明家

エジソンは、小学1年生のときに落ちこぼれでした。

ある日、先生からクラスの子ども全員の前で、「お前の脳みそは腐っている」と、けなされます。 

母親は、先生に「息子はバカではない!」と強く抗議しましたが、彼は再び学校に行くことはなく、小学校を3ヶ月で退学しました。

エジソンは、母親の指導で、本を読んで勉強しながら、科学に興味を持つようになりました。

その後、電信機、蓄音機、電球など、世の中に偉大な貢献をする発明を次々と成し遂げます。

世の人は、彼を天才だと言いました。

 しかし、その発明は、天から降ってきた「霊感」(インスピレ-ション)からではなく、実際は、彼の流した「汗」(パースピレーション)のおかげです。

「汗」とは、努力のことです。

蓄電池の発明をするのに1万回もの実験に失敗をしたとき、エジソンは言いました。

「おかげで、失敗する方法が1万通りわかった。あと、数千回試してみれば、きっと成功する方法もわかるよ」