長崎市で教師だった頃、地元の長崎新聞のコラム「うず潮」に月に1度、3年間ほどエッセーを連載させていただいていました。
この得難い仕事を通して、私は文章を書くことにだんだん魅せられていきます。
当時は思いもよらなかったのですが、このエッセー連載を機に、教師をやめて、文章を書く仕事をすることになります。
その後、幸運にも本を何十冊も出版していただけるようになったのですが、ご紹介する新聞記事は、その原石となったのです。
トップの写真は、親子野外レクをおこなった国立諫早青少年自然の家(長崎県諫早市)
親子野外レク
日本ではわが校だけだろうか。父親への積極的な教育参加を願って、夏の終りに一泊二日で男だけの「親子野外レク」を行っている。
参加者は、小学一・二・三年生とその父親で百名を越える。場所は諌早少年自然の家の施設と自然の中。野外炊飯・グライダ-づくりなど、活動内容はその年の実行委員の父親の話し合いで決まる。
参加した父親の声。「二人で食事を取り、風呂に入り、ナイトハイキング、沢登り、父と子の男同士の一泊二日のつき合いは意義あるものでした。親子レクを終わって、子供とふれあう時間の必要性、内助の功の有難みを改めて認識させられました」
クラスの父親同士がこれを機に顔見知りになることも意義深い。昨年のことだが、親睦を深めた父親同士が「次はわがクラスのクリスマス会をやろう」と企画。校長や担任(私)、神父さんも巻き込み、家族そろっての楽しい集いに結実した。
昨今、教育荒廃が社会問題化する中で「家庭教育の在り方」が問われるようになった。文部省の家庭教育に関する比較調査によると、日本の父親が子供と一緒に過ごす時間は一日に平均三、三時間。調査対象の米・英・韓国など六カ国の中で最も短い。
家族をリ-ドし、まとめ、母親とは違う視点や手法で子育てにかかわっていく父親の役割は今更ながら重視されている。「父性の復権」は強く叫ばれるが、具体的に何をすればよいか。
例えば、テレビを消して子供とつき合う時間をつくること。学校行事にもう少し参加すること。さらには、母親への感謝や肯定的な評価を言葉か態度に表してみること。そういう心掛けがよりよい家庭を作っていく。
立派な父親のあり方を、私自身も「親子野外レク」を通して教えていただいている。
1998年8月22日「長崎新聞」
家事分担のすすめ
現代の子供に必要だと思うものに、家事労働がある。いわゆる、お手伝いである。
炊事、洗濯、掃除など、家族生活にかかわる仕事を母親だけに任せず、子供にも分担させる。
「もう一年生だから、お家の仕事を毎日しなさい」「君も家族の一員だから、家族のために仕事をするのは当たり前だよ」と言うと、子供たちは素直にうなづく。
その後は家庭教育のあり方で、子供の成長ぶりに違いがでる。
一般に、「勉強、勉強」で、何の家事労働も与えられず大きくなってきた子供は、だらしなく、仕事をきらう。単調な仕事や根気を要する学習は、とくにいやがるようになる。口先は達者だが、困っている人の痛みが分からない。
他方、小さいころから決まった家事労働を与えられて毎日してきた子供は、仕事であれ、勉強であれ、ちゃらんぽらんにはしない。人間としての様々な能力もみがかれていき、学力も必然的に高くなっていく。人への思いやりの心も育っていく。
思いやりは、まず家庭内にあらわれる。子供は家事労働を通じて、親の苦労がわかってくる。自分も家族の一員だから家の仕事を分担するのは当然だ、親が困っていれば助けるのが当たり前だ、としつけられてきた子供は、抵抗もなく喜んで両親を手伝えるようになる。
自分の仕事が、お父さんの疲れをいやし、お母さんの負担を軽くする点で大切な役割をしているのだと実感することもある。感謝されれば、家庭生活を支えていく上で、自分も、なくてはならない存在であることに喜びをもつ。
仕事は「仕える事」と書く。家族一人ひとりが、家庭内の仕事を分かち合い、互いに「仕える事」ができれば、きっと今よりもっと思いやりに満ちたあたたかい家庭になるに違いない。
1998年9月30日「長崎新聞」