講演

いのちを考える~あと3日の人生なら何をするか?

昨日(5月21日)、オンライン・いのちびと人間塾(いのちをバトンタッチする会代表・鈴木中人氏主主催)のゲスト講師として参加させていただきました。

いのちびと人間塾は、オンライン(ZOOM)で、いのちをキーワードに、生き方・大切なこと・家族・幸せを見つめ、人間力を高め、いのちのご縁を紡ぐ集いです。
いのちに向き合う「いのちびと」をゲストに、仲間とじっくり語らう塾なのです。

私が担当したのは、第6期の第4回目(最終回)でした。

2022年5月21日(土)20時~21時 講話 
            ~22時 フリートーク
            ~23時 オンライン懇親会

という構成で、10数名の方が参加されました。

フリートークや懇親会も参加させていただきましたが、とても和やかで良い雰囲気でした。いろいろな方の様々なお話が聴けて、大変良かったです。

では、私がお話したことを以下にご紹介しておきます。

初めにお断りしておきたいこと3つ

(1)ZOOMでのセミナーは初めてです。

   ゆえにミスがあるかも・・・

(2)私の家族で亡くなった人はいません。

   以前勤めていた学校で、19年前海難事故があり、
   同僚教師と小学6年の子どもが死亡したことはある 

(3)私はカトリック信者、いのちについての考え方は、キリスト教的です。

   ゆえに、キリスト教について触れざるを得ません。
   ただ、キリスト教を強制するつもりはないし、信じられなければそれでOKです。

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(それでも)学べることはある 

(私自身も皆様から学べることは多い)

理由
  1)このオンライン・いのちびと人間塾にお金と時間をかけて参加
    そういう人は意識・向上心が非常に高いからです。

  2)こういう機会を通して神様は贈り物をくださるから。
   話は同じでも、聴いている人、一人ひとり違うものをもらえると思います。

私は、講演に臨む際には、いつも、神様に「私はあなたの道具になりますから、参加者のためになるようなことが話せるように助けて下さい」とお祈りしています。

(すると、緊張することもないし、たいていうまくいく)

私の「いのち」ついての基本的な考え方

これまでいのちについて考えてきました。

特に、黙想会のとき

毎年5泊6日の黙想会に参加、42回
毎月の半日の黙想会に42年間欠かさず500回以上 
いのち、死について、自分の生き方について考えてきました。

今、私たちに確かなことは2つあります。

一つは、いま生きていること。
もう一つは、必ず死ぬということ。

どれほど、素晴らしい能力をもっていても、お金や地位や名誉があっても・・・
誰もが確実に死にます。

いつ死ぬか、たいていの人は知りません。

病気であと1か月後と宣告されている人以外は、たいていの人はまだまだ自分の人生は続くと思うもの。
でも、繰り返しますが、この世でのいのちは、どれほどがんばっても、いずれ終わる。
確実に終わります。

死んだら、どうなるのか?

私たちは一度も死んだことがないので知りません。

知らない事や知らない世界は、なんとなく不安だし、怖いものです。

死ねば真っ暗な世界に行ってしまうのか、と思うと怖いというのが、普通の反応です。

愛する人の死は、この世で2度再び会えないという別れ。

なので、辛く悲しいというのが普通の反応です。

でも、もしかしたら、まだ知らないだけで、そうではないかもしれない。

万人が、例外なく死に導かれるのなら、その死には意味があるはずです。

では、私が信じている死についての考えをお伝えします。

死は、人生のゴールである。

ゴールに辿り着いたら、良いことがある。

「よくがんばったね」「人生をよく生きたね」とご褒美がもらえる。

この世で生きているときは味わえなかったような、愛と光に満ちた幸福が待ってる。永遠の幸福が待っている。

シスター鈴木秀子さんのご体験や著作から

私の死と生に関する考えは、シスター鈴木秀子さんとほぼ同じです。

シスター鈴木秀子さんは、現在90歳。
カトリックの聖心会の修道女。聖心女子大学教授。文学博士。評論家。

彼女は40年以上前に、臨死体験をされました。

私は至福そのものでした。この世界にいつもでもとどまりたいと感じていました。

鈴木秀子著『死にゆく者からの言葉』(文藝春秋)P11~12から一部引用

これまで味わったことのない至福の中で、「癒してください」という祈りの声を聞いたこと。

最も大切なことは「愛すること」と「知ること」だと啓示を受けたこと。

このような臨死体験が、彼女のその後の人生を変えていきます。

実は、同じような臨死体験している人は、世界中に少なくないようです。

シスター鈴木秀子の考えと共通していること

(1)この世での命には限りがあるが、この世だけで命が終わるのでない。

(2)人生のゴール(死)は、永遠の命への入り口である。

(3)その先には、この世では味わえないような幸福や自由が待っている。

(4)光そのもの、愛そのもの、命そのものである方が待っている。

(5)私たちは、その方からいまのままで十分に愛されている。

(6)いのちは賜物。自分が作り出したものではなく無償で贈られたもの。

   これまでの人生も残りの人生も賜物。贈り物である。

   その賜物に感謝すると同時に、いのちを無駄にしない使い方をしていきたい。

塾では紹介しませんでしたが、ご参照まで

「死にゆく者からの言葉」について考える 「このところずっと、私は生き方を学んでいるつもりだったが、最初からずっと、死に方を学んでいたのだ」   レオナルド・ダ・ビンチ ...
誰もが「三つの平等」で生かされている。鈴木秀子著『あなたの心が光でいっぱいになる本』を読みました。 鈴木秀子さんは、聖心会のシスターで、聖心女子大学の教授です。若い頃に臨死...

私たちにはこの世で生きる使命がある。(使命は命の使い方)

何のために命を与えられたか?
どのように命を使えばよいか?

一人ひとり違うと思います。

けれども、同じことを期待されているとも思います。。

死を目前にすると自覚します。

この世で大事なことは、権力をもったり、お金持ちになったり、有名になったりすることではない。

世界中の人から賞賛されるような立派なことをすることでない。

たとえ人より劣ることがあっても、ダメだと思えることがあっても、その人なりの使命がある。

たとえば、いま私は障害のある子どもたちを関わっています。

彼らが、これから社会的に自立していけることは大切ですが、そうでなくても、その存在自体に価値があります。

塾では紹介しませんでしたが、ご参照まで

障がい者と共に生きるために(映画『くちびるに歌を』など)障がい者と共に生きるということについて考えてみましょう。 それは人間について、自分について考えるということでもあります。 障害をもっ...

自分の使命は、いのちと真剣に向き合うときに分かってくる。

幸いかどうか知らないが、私自身は病気で、あと1年の命、あと半年の命と宣言されたことはありません。

しかし、死ぬことは確実。

なので、まだまだ先だと考えずに

「あと1年で死ぬなとどうするか?」

とあえて考えるようにしています。

「あと3日で死ぬとどうするか?」

とも考えるようにしています。

ある小学校での教員研修で問いかけてみたことがあります。

人生の残り時間があと3日だったら何をしますか?

どこそこに旅行に行きたいとか、

あれをしたい、これをしたい、などいろいろありましたが、

「大切な人に手紙を書く」

という答えがありました。

手紙を書くというのはいい方だと思います。

なぜか・・・

(1)手紙なら面と向かって言いにくいことでも言える。

(2)いつまでも残る。

からです。

そして、気づきました。

私も、いまそれをしてている。

本を書く、ブログ、メルマガを書くこと。

これらは私には、読者への手紙です。

死と真剣に向きあわなかったら、教師を辞めてまで、執筆の仕事をしなかったと思います。

こんなふうに

あと3日のいのちなら何をするか?

それをできるだけ今日やろう。

今できるなら今やろう。

と、私は基本的に考えるようにしています。

ご参照まで

「あと1年の人生だったら・・・」と考えると人生が変わる「あと1年の人生だったら、何をしようか」と考えると良いですよ、という話をしたいと思います。 「あと1年・・・」 「あと1年の人生だっ...

みなさんは残りの人生が3日間なら何をしますか?

あと3日の命なら、みなさんも手紙を書くでしょうか。

書くとしたら、一番大切な人に宛てに書くでしょう。

たぶん、一番言いたいことを正直に書くでしょう。

それを短い言葉にすれば、

「あのときは、ごめんね」かもしれない。

「本当に本当にありがとう」かもしれない。

「これからもずっと大好きだよ」かもしれない。

「出会えて本当によかった」かもしれない。

「いつも幸せを祈っています」かもしれない。

その気持ちを抱きながら、あと3日を生きるでしょう。

手紙ではなくて、直接顔を見て伝えたくなるかもしれない。

その人にために、体の自由が許せば、
いま自分にできることを何でもやってあげたくなるかもしれない。

大切な人にために、目の前の人のためにいま自分にできることを何でもしてあげる。

それがいのちの最も良い使い方のように思えます。

私たちに望まれているこては、愛すること。
互いに愛し合うこと。

マザーテレサは言いました。

「私たちは偉大なことはできません。
 ただ、小さなことを愛をこめてするだけです」

これから先何をするかわかりませんが、私も、小さなことに少しでも愛をこめてできれば、いつこの世でのいのちが終わっても本望と思っています。

といっても、元気そのもので、まだまだ死にそうにもありませんが(笑)